17.
                                        

ベッドに仰向けに寝転がって、天井を見上げた。
白木の言葉が頭から離れない。
あの言葉がグルグル回って、景の顔が見れなかった。

―――おまえ、景ちゃんのこと好きなんじゃない?
―――かなり特別な存在なんじゃないの

好きってなんだよ。
そりゃ、いちおう家族だし。特別な存在って、家族だからってことなんじゃないのか。
家族。
景は“姉”だ。
それ以外、当てはまる言葉なんて…。

コンコンコン

突然のノックの音に、驚いてベッドから起き上がった。
階段を上る足音が聞こえないほど、考え込んでいたんだろうか…。
ドクドクという心臓の音が耳に響く。
小さく息をついて、ドアの向こうにいる景に返事をした。
「何?」
そんなつもりは全くなかったのに、俺の声は自分でも驚くほどそっけない響きを持っていた。
「数学の教科書貸してくれない?」
そのそっけない響きを、景は確実に感じ取ったらしい。普段よりも硬い声が返ってきた。
また、やってしまった。
いつもの悪循環。
どうして景には上手く対応できないんだろう。
「…どれ」
溜め息を飲み込んで、本棚に手を伸ばしながら聞いた。
できるだけ柔らかい声を心がけたけれど、あまり成功はしなかった。
「数Vなんだけど」
教科書を手にしてドアを開けると、景は視線を下に向けて立っていた。
その視線が俺の顔まで上がる前に目をそらして、代わりに教科書を差し出した。
「ありがとう」
景と目が合わせられない。
ついさっき、“姉”だって…。
「戒」
名前を呼ばれて、思考も、ドアを閉めようとした手も止まった。
「…どうかしたの?」
目をそらしたまま黙っていると、今度は疑問形で、もう一度名前を呼ばれた。
「…なんでもないよ」
ゆっくりと顔をドアの向こう側へ向ける。
俺を見上げる景と目が合った。
その何か言いたげな目から、すぐに視線を逸らしてしまったけれど…。
あきらめたように頷いて、景は階段に向かって歩きだした。
その背中を黙って見送って、一歩階段を下りたところで、今度こそドアを閉めた。


再びベッドに寝転んでから何分たっただろう。
何をするでもなく、ただ天井を眺めるだけ。
ボーっとしていた俺の耳に、ガチャという金属音が届いた。
続いてドアの開く音、閉まる音。最後にもう一度ガチャという金属音。
「…景、か?」
呟くと同時に、ヘッドボードの時計に目を向けた。
時間的に、もうすぐ暗くなる。
起き上がってベッドから立ち上がりかけたところで、動きを止めた。
一々、俺が口を挟むことじゃない。
“姉”が出かけただけだ。
浮いたままの腰をベッドに戻し、レースのカーテン越しに空を眺めた。
オレンジ色の空は、少しだけ、ほんの少しだけ、灰色を混ぜたような色に変わりだしていた。
ベッドに寝転んで、目を閉じた。
色の変わりだした空を、見ないように。気にしないように。
姉の行動に、いちいち干渉しないように…。

閉じたまぶたの裏に、この間の回覧板の内容が浮かぶ。
危ないからって、景がこの家に帰ってきた日にあわてて探しに出たんだった。
まだ2、3日しかたってないのに、だいぶ前のことのような気がする。
目を開けて、大きく息を吸って、吐き出して。
また目を閉じても、まぶたの裏には回覧板が浮かんできてしまう。
一度思い出してしまった回覧板の内容は、なかなか頭から離れてはくれなかった。






ひんやりとした夕方の風を受けながら坂道を下る。
戒の様子が気になってはいるけれど、あたしが口を出しても無意味だろう。
目さえ合わせようとしなかった。
そういえば、今まで目も合わせないなんてことはなかった気がする。
睨み合って目をそらしたら負け。
目が合わなければ、睨み合うこともない。
「こんなの初めてだわ」
小さく、誰にも聞こえないような声で呟いた時、後ろから誰かが走ってくる足音に気付いた。

ちょうど坂道を下りきった時、足音がやんだ。
「景」
少しかすれた声があたしの名前を呼ぶ。顔など確認しなくても誰の声かすぐに分かった。
振り返れば、走ってきたせいで息を切らせた戒がいる。
「景」
かすれた声が、もう一度呼ぶ。ちゃんと、あたしの目を見ながら。