16.
                                        

ハンバーガーを途中で放棄したあと、俺は黙ったまま紙コップの水滴をいじっていた。
白木も何も言わない。何かを考えているような表情で、黙ったまま食べ続けている。
俺は俺で、景について知っていることなんてあるのかと考えていたから、特にこの沈黙を気にはしなかった。
「三門ってさ…」
ハンバーガーを食べ終えて、その包み紙を握りつぶしながら白木が真面目な顔で俺に目を向けた。
「何」
「小食?」
真面目な顔で何を言い出すかと思えば…。
「そんなことない。今は食欲ないだけ」
だよな、と呟くように言ってコーラの入った紙コップのストローを咥えた。
「昨日だって、景ちゃんが買ってきたハンバーガー、結局2つとも食べてたもんな」
「あの2個とポテトと飲み物だと、ちょっと多かったけど…」
白木は何を言いたいんだろう。
いつもの人懐っこい笑顔は、今の白木の顔には浮かんでいない。
「ホントはさぁ、三門が景ちゃんと義姉弟なら、俺のこと紹介してもらったりとか手伝ってもらっちゃおうかなーって思ってたわけよ」
ため息でもつきそうな表情で、白木は頬杖をついた。
細くなった目が探るように俺を見ているのは気のせいだろうか。
「…いいよ。紹介する」
「おまえならそう言ってくれると思ってたんだけどさ…。やめた」
「なんで?」
返事の変わりに、でかい溜め息が返ってきた。
頬杖をついたままで俺から視線を逸らした白木は、紙コップの水滴を親指でテーブルに落とし始めた。
黙ったままそうやって何滴か雫を落としたあと、俺を見ないままでつまらなそうに口を開いた。
「景ちゃんの話してる時のおまえの表情、見せてやりたいよ」
「誰に」
「おまえに」
「なんで?」
鏡でも持って自分の顔見ながら話せってことか?
それじゃ変人じゃないか、俺。
「おい」
少し待ってみても、また返事は返ってこなかった。
仕方なく俺も頬杖をついて、そっぽを向いたままの白木を眺めた。

数分黙ったままでいたけれど、不意に白木の視線が俺に戻ってきた。
さっきまでの溜め息をつきそうな表情から、何か納得したような表情に変わっている。
「俺が思うに」
俺は黙って首だけを動かした。
「三門はライバルなんだろうなって」
「……なんだよ、それ」
「気にすんな。俺が納得できればそれで良し」
「ライバルってどういう意味だよ。勝手に自己完結すんな」
残っていたコーラを飲み干して、さっさと片付けようと立ち上がりかけた白木を押しとどめる。
意味が分からないまま放って置かれるのは気に入らない。
椅子に座りなおした白木は、ふぅ、と溜め息をついた。
「言いたくないんだけどなー。でも俺って素直だからさ」
本当に素直なヤツは自分で素直だなんて言わないと思う、とは言わないでおいた。
「ライバルって何」
「おまえ、景ちゃんのこと好きなんじゃない?」
予期していなかった言葉に、俺は固まった。
咄嗟に言葉が出てこない。
「まぁ、好きとかって言うよりもさ、かなり特別な存在なんじゃないの」
自分で言ったことが恥ずかしくなったのか、白木の顔に照れ笑いのような笑顔が戻ってきた。
「話してるときの三門の顔見ててさ、そう思ったわけよ」
何かを言おうとしても何も言葉が出てこなくて、俺は黙ったまま白木を見ているだけ。
「わかった?以上、白木祥太のプチ講座終了。じゃあな」
照れ隠しなのかアッサリと切り上げて、白木は今度こそ立ち上がった。そして固まったままの俺を放置して、さっさと帰っていった。






ちょうど鍋にふたをした時、玄関の方で音がした。
今日はまだ両親が帰ってくる日じゃないから、戒が帰ってきたことになる。
ちょっと待っていてもリビングに入ってこないから、まっすぐ自分の部屋に行ったみたい。
いつもならリビングに顔を出してから上に行くのに、どうしたんだろう。
何かあったんだろうか…。

「おかえり」
リビングに下りてきた戒に声をかけても、あたしを見ようとしなかった。
鍋から漏れる音でかき消されてしまいそうなほど小さな声で、「ただいま」という声がかろうじて聞こえた。
あたしに背を向けているから、戒の表情は分からない。
やっぱりどこか様子がおかしいと思いながらその背中を少し眺めていたけれど、鍋の音で意識を引き戻された。
鍋を混ぜてもう一度ふたをした時、戒はまた2階へと上がっていった。

少ししてから鍋の様子を確認して弱火にする。そのあとリビングに戻って、問題集とノートを広げたままのダイニングテーブルについた。
ゴールデンウィーク明けにある実力テストの勉強をしておかなきゃいけないのに、あまり進んでいない。
本当は戒が帰ってきたら教科書を借りようと思っていたんだけど…。
ちらっと天井に視線を向けて、どうしようかと迷う。
なんだか話をする雰囲気じゃない気がするけど、でも問題が解けない。似たような問題も見つからなくて、もうお手上げ状態。
借りようか、あきらめてアパートに戻ってから解きなおそうか。
少しの間解けないでいる問題文を見つめて、あたしは立ち上がった。

階段から一番離れている部屋のドアの前で立ち止まった。2階は本当に静かで、何の音もしない。
そっと3回ノックすると、「何?」というそっけない声が返ってきた。
「数学の教科書貸してくれない?」
「…どれ」
「数Vなんだけど」
部屋の中で動く音がして、ドアが開いた。
「ありがとう」
差し出された教科書を受け取ると、戒はすぐにドアを閉めようとした。
あたしの顔を全く見ようとしない。
「戒」
名前を呼ぶと、ドアは閉まる寸前で止まった。
「…どうかしたの?」
ドアの隙間からは戒の横顔が見えるけど、あたしを見ないようにしているのは気のせいじゃないと思う。
「戒?」
もう一度呼ぶと、帰ってきてから初めてあたしを見た。
「…なんでもないよ」
何も言わずに少しの間目を合わせていたけれど、先に目をそらしたのは戒だった。
「そう…」
あきらめて階段に向かい、一歩下りた時にドアが閉まる音がした。


教科書をめくっていても、なかなか目的の内容が見つからない。
やっと見つけても、集中できなくて結局あきらめてしまった。
気まずい思いをして借りにいったのに、と思うけど頭が働かないんだからしかたない。
壁に掛けてある時計を仰いで、立ち上がった。
もう少しで暗くなりそうだけど、買い物に行ってこよう。
明日あたしはアパートに帰る。お母さんたちは明日帰ってくるけど、きっと買い物になんて行く余裕ないだろうし。
鍋の火を止めて、あたしは出かける支度をした。