05.
                                        

カートを押しながらお店の中を一回りし終えると、予想外に買い物カゴがいっぱいになっていた。
でもなぁ…。
あの空っぽの冷蔵庫には、これくらい買ってもまだ余裕があるんだろうけど。
実を言うと、母は料理があまり得意じゃなくて。たぶん…っていうか、十中八九、ご飯を作るのはあたしだと思う。
あたしや戒と違って、両親は仕事があるわけだし。
そう考えて買い物していた結果が、目の前の買い物カゴということになるんだけれど。
……重そう。
家まで、約15分。
もちろん歩き。それも、帰りは少し上り道だったりして。
それとも…。
レジに並びながら、ちょっと横に頭を振った。
一瞬浮かんだ考えを、振り払うために。
一人で持って帰れないような量じゃないんだし。だから、わざわざ戒を呼ぶ必要なんてない。
ここまで来てくれるのを待ってる間に、家に着いちゃうわよ。
いつの間にか暗くなっていた外に目を向けて、小さく溜め息をついた。
けっこうな時間を、ここで過ごしていたみたいだ。
早く帰って、夕飯を作らなきゃいけないんだから…。
財布を取り出して、表示されていく商品の値段をぼんやりと眺めた。

スーパーから出たあたしの手には、大きく膨らんだ袋が2つ。そして、卵とパンを入れた小さめの袋が1つ。
袋の持ち手が手に食い込んで、少し痛かった。
家に着いたら、きっと手が真っ赤になっているだろう。
よいしょ、と袋を持ち直してまた歩き出す。
角を曲がると、ゆるい上り坂が待っていて。それを見ると、ため息が出る。
でも、家に帰るには、どこの道も上り坂だから仕方ない。

住宅地だけあって、周りは比較的静かだった。すでに暗くなっているせいもあって、子供もいない。
左右の買い物袋を持ち替えようと立ち止まったとき、後ろから足音が聞こえた。
「…すみません、道をお尋ねしたいのですが」
振り返ると、男の人が近くに来ていた。
「この近くに郵便局は…」
「景!!」
男の人の言葉をさえぎるように、聞き覚えのある声が響いた。

驚いて坂の上の方を見ると、息を切らした義弟の姿があった。
街灯に照らされた顔は、怒っているように眉間にしわがよっている。
あたしのそばまで、駆け寄って来た。
「何か用ですか?」
不機嫌さを隠そうともしていない低い声で、あたしの代わりに男の人に声をかける。
「…郵便局の場所を、聞こうと思ったんです」
戒の様子に気圧されたのか、相手の声が戸惑ったような響きを帯びた。
「それなら、この坂をおりきって、左に行ったらあります」
ぶっきらぼうに言うと、あたしから買い物袋を取った。

男の人が坂を下りて行った後、その背中を睨むように見ていた戒があたしに視線を移した。
「帰るぞ」
短く、低い声で言った。
「……何怒ってるわけ?」
あたしを見る戒の目が、ますます細められる。
「黙って買い物に行くからだろ」
「一旦、家に帰ってから出てきたわよ」
戒の声音に、あたしも不機嫌になる。
ちゃんと書置きもしてきたし。戒が怒るようなことなんて、何もない。
「心配させるようなことすんな」
「…何それ」
意味が分からないんだけど。
あたしを睨む戒を、睨み返した。
心配させるも何も、ちゃんと書置きしてきたんだから。
戒と言い争うのもバカらしくなって、あたしは黙って歩き出した。



「…何それ」と不機嫌そうに言ったあと、景はさっさと歩き出した。
追いかけるように、俺も歩き出す。
景が不機嫌になったのは、自分の態度のせいだってことはよく分かっていた。
でも、いつものごとく感情を抑えられない。
さっきの知らない男にも、景は警戒なんかしていないようだった。
こんな時間に郵便局に何の用だ?とっくに閉まってるだろ。
たんに目的の場所が、郵便局の近くだったのかもしれないけど。
どっちにしろ、もう少し警戒心を持ってほしい。
そっと溜め息をついて、景の隣に並ぶ。
俺が景を探して、走り回ってたなんて言ったら…。景はどんな反応を見せるだろう。
チラッと隣りを見下ろして、すぐに視線を前に戻す。
また「何それ」と言われて、呆れられるのがオチだろうな。

家に着くと、景はキッチンに直行した。俺も一緒に行って、買った物を袋から出していく。
それにしても、この量。
本当に一人でもって帰るつもりだったのかと、少し呆れてしまう。
大きい方の袋1つだけでも、だいぶ重いのに。これがあともう1つあるんだ。
俺を呼ぶとか、そういう考えは浮かばなかったんだろうか。
冷蔵庫に物を入れている背中を見て、自嘲する。
景が俺を頼ったことなんて、一度も無いんだと、思い出した。

リビングのカーテンが開きっぱなしなのに気づいて、閉めに行く。
ふとローテーブルの上に目をやると、メモ用紙が乗っていた。
景はまだ、家に帰ってからリビングに入っていないし。俺が置いたわけでもない。
そうすると、これはだいぶ前から置かれていたことになる。
全てのカーテンを閉め終えてから、そのメモを手に取った。
『買い物に行ってきます』
読んで、しまった、と思う。景は黙って買い物に行ったわけじゃなかった。
ちゃんとメモを残していたのに、俺が気づいていなかっただけ。
それを、俺が一方的に景に怒っていたわけか。
景が怒るのも、うなずける。

対面キッチンのカウンター越しに、冷蔵庫に物を入れている義姉の背中を見つめた。
謝らなければ、と思う。
でも、声が出ない。
一度大きく息を吸い込んで、「景」と呼んだ。

振り向くと、カウンターを挟んで戒があたしを見ていた。
どこか、ばつの悪そうな、そんな顔で。
「…どうかした?」
その顔からすぐに目をそらして、買った物を片付け続ける。
さっさと片付けて、夕飯を作り始めないと。
7時過ぎには、両親も帰ってくるだろう。

「……ごめん」

一瞬、あたしの動きが止まる。それから、戒に再び視線を向けた。
「ごめん」
もう一度そう言って、メモ用紙をあたしに見せる。あたしが書いた、買い物に行くと言うメモ。
「全然、気づいてなかった…」
メモを一瞥して、すぐに片づけを再開する。
「いいわよ、気にしてないから」
一言、そう言葉を返した。