17. カウンセラーは毒舌家 |
「もう、付き合ってるフリっていうの…やめよう」
何度も、自分の言った言葉が頭の中で繰り返される。
りんを傷つける結果になったことが、心にのしかかる。
もっと別の言葉があったはずなのに。
慎重に言葉を選んで、言わなければいけなかったのに。
「後悔先に立たず」なんてことわざを、こんなふうに実感するなんて思わなかった。
でも…、あのときの俺には、言葉を選んでいる余裕なんてなかったんだと思う。
冷静さに、欠けていたとも言えるかもしれない。
だから、たとえ時間を巻き戻せたとしても。同じことを言ってしまう自分を見るだけだろう。
あせりを感じたんだ。
あの春乃崎ってやつが、出てきて。
―――…りんさんに会いに来る、いい口実になりました
りんはポカンとしていたけれど、アイツもりんが好きなんだとすぐに分かった。
目が、違う。俺を見る目と、りんを見る目と。
あのとき、一瞬ゾワッと鳥肌がたった。
二人の会話を聞いてたら、りんの家に呼ばれるようなやつらしいし。
また…。
また、りんを連れて行かれそうで。
俺はまだ、“偽者の彼氏”ってことになっているから。
春乃崎のことを聞いたときにりんが黙ったのを見て、それ以上聞き出せなかった。
「言いたくないなら、無理には聞かないから」なんて、心とは裏腹なことを言って。
自分の中の不安とイラつきを、助長させてしまっていた。
いつもなら、ポーカーフェイスでつくろえるはずなのに。
りんの表情で、今回は全然つくろえてなんかいないことを自覚した。
りんが困ったような顔だったから、取り繕うように続けて言った。
「付き合ってるフリなんだから、あんまり踏み込んだらダメだよな」と。
今まで何回か、りんもこんなことを口にしていたから。
俺がこう言えば、きっと困った顔なんてすぐに消してくれると思ったのに。
予想とは逆に、そのセリフでますます表情が暗くなってしまった。
本当に、今にも泣きそうな。
その表情を見て、りんが俺を好きでいてくれてるのかもと、錯覚しそうになった。
でも、まさかな。
確かに、最近のりんの態度は4ヶ月前とはまるで違うけど。
一瞬浮かんだ考えを、すぐに拭い去った。
たった一言。
春乃崎が言った、たった一言でこんなにグラグラになるほどに。
俺はりんが好きなんだと、思い知らされた。
だから…。
“付き合っているフリ”という関係を、終わらせようと思ったんだ。
この関係を続ければ、りんの隣にいることは許されるけれど。
隣にいるだけじゃ、もう、足りなくなってしまってるから。
笑顔も、笑い声も。全部、俺に向けていてほしい。
そばにいることを許されるのは、俺だけでありたい。
どんどん、貪欲になっていくのを止められない。
“フリ”のままじゃ、前に進めないから。
隣には並べても、手を引いて前に進むことができないから。
だから、「やめよう」と言った。
こんな関係じゃなくて。もう一度、始めから。
“好きだから”付き合いたい。
形だけの関係は、もういらない。
だけど…。
やっぱり余裕なんてなかったんだよな、俺。
言葉を選び損ねて、結局はりんを傷つけただけだった。
言うべきタイミングを考えていなかった自分が、バカみたいだと思う。
早瀬が作ってくれた酒を飲みながら、話し続けて。
全部話し終わったあと、ずっと黙っていた早瀬が口を開いた。
俺の正面のソファーにふんぞり返るように座って、一言。
「悠…おまえ、やっぱバカだな」
俺のカウンセラーは、ニヤリと笑って毒を吐いた。
「あーあ。マジで、おまえってバカ」
ソファーにふんぞり返って、グラスの中身を飲み干した。
話を聞き終わった早瀬は、さっきからそれしか言わない。バカバカと連呼するだけ。
「睨むなって」
俺の顔を見て、ケラケラと笑う。
「バカにバカって言って、何が悪いよ」
そりゃそうだ。
でも、言われてる方は気分が悪い。
「ま、俺もバカって言われたらムカツクけど」
俺の考えていることを見透かしたように、ニヤッと笑った。
ムスッとしながら、無言で自分の空いたグラスを突き出した。
「あー?まだ飲むのかよ」
おまえだって、まだ飲むんだろ。
俺のグラスを受け取って、キッチンへと歩いていく。
「こんな悠、香月さんには見せらんねーなー」
“香月さん”という言葉で、りんの顔がよみがえる。
あの、泣きそうに歪んだ表情で。
津ノ田に連絡を入れたから、たぶんりんの所に行ってくれたと思うけど…。
あんなに怒った津ノ田の声は、初めて聞いたな。
「で?」
戻ってきた早瀬が、そう言った。
グラスを受け取りながら、首をひねる。
「“で?”って何」
「おまえ、香月さんのことあきらめるわけ?」
「……」
りんを?
「ったく。おまえはどうしたいんだって聞いてんだよ」
これで、終わるのか。
ここで終わったら、もうりんが俺に笑ってくれることなんかない。
ずっと、好きだった。フリでも何でも、隣にいられて嬉しかった。
どうしたい?
「…ここで終わらせるわけ、ないだろ」
自分から崩した関係を、取り返す。それだけだ。
「たったそんだけの答え出すのに、何時間かかってんだよ」
だからおまえはバカなんだ。と、早瀬は呆れたように続けた。
「俺の貴重な時間を潰しやがって」
「自分からここに来たくせに」
「うるせぇ。これで一つ貸しだからな」
コトッとグラスを置いて、ニヤッと笑った。
「俺様的のカウンセリング終了、ってな」
「ずいぶん毒舌なカウンセラーだな」
「そりゃ、おまえ男だし。女の子相手なら優しくするって」
ケラケラと笑う早瀬につられて、俺も笑った。
玄関の所で、由美にしがみつくようにして泣き続けて。
やっとあたしが落ち着いてから、由美が紅茶を淹れてくれた。
ラグマットの上に座って、由美が淹れてくれた紅茶を飲む。
ローテーブルを挟んで向かい側に座った由美も、黙って紅茶を飲んでいる。
由美はそうやって、ずっとあたしの話を静かに聞いてくれた。
「…そういうことだったんだ」
話し終えると、優しい目であたしを見た。
「今までのことはほっといて、今は好きなんでしょ?」
コクリとうなずくあたしを見て、にっこりと笑う。
「それならさ、また最初から始めればいいじゃない」
「え?」
「“フリ”はもう終わり。今度はちゃんと“好きだから”付き合えるようにさ」
好きだから…。
「あたしに言わせればね、フリでも何でも、4ヶ月も続けるなんて難しいよ」
一口、紅茶を飲んだ。
「大野くんはりんが嫌いになったわけでも、愛想を尽かしたわけでもないと思うな」
だって、もしそうなら「りんの所に行ってあげて」なんて言わないでしょ、と笑う。
「…やっぱり、悠が由美に連絡入れたんだね」
「うん。でも、連絡来たとき大野くんに怒鳴っちゃったけどねー」
苦笑交じりで、うなずいた。
「でも、“フリ”だとは思わなかったわ。大野くん見てると、本当にりんのこと好きなんだって思ったし」
だから、と紅茶を飲んでから続けた。
「今度は、りんが好きだって態度で示さなきゃ」
「……うん」
だいぶ遅くなったけど、やっと悠が好きだって気付いたから。
今度は、あたしが悠を追いかける番。
「ありがとう、由美」
全部最初から。もう一度、始めよう。
倒されたままの砂時計は、元のように立てられた。
下へと流れ落ちる砂は、また、同じ速度で時を刻み始める。
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