15. 突然のさよなら |
「…あ」
放課後。並んで歩きながら、悠が声を上げた。
「ごめん、りん。忘れ物した」
鞄を開けて中を見る。少し中をいじったあと、ため息をついてあたしを見た。
「やっぱないわ。取ってくるから、りんは先に帰ってていいよ」
「…待ってる」
「でも、暑いでしょ」
夏休み直前の太陽は、今日も容赦なく気温を上げてくれている。
首を横に振るあたしに、悠はちょっと苦笑した。
「じゃあ、校門のとこにいて。あそこの木の下」
校門の横に植えられた木を指差した。
木の日陰に入ってろってことみたい。
「うん」
あたしがうなずくのを確認して、悠は校舎に戻って行った。
木にもたれかかりながら外を見ると、一台の車が目に留まった。
あたしの位置からでも手入れの行き届いていることが分かる、黒塗りの車。
この学校は私立で、お金持ちの子供も通っているけれど…。
あんな車が校門前に停まっているのを見たのは、初めてだ。
一度、視線を校舎へ移して、またその車に戻したとき、制服姿の男の子が降りるところだった。
男の子の顔を見て、驚いた。
「…亜聡くん?」
あたしの呟きが聞こえたかのように、亜聡くんはこっちを見て微笑んだ。
「突然、学校まで来てしまってすみません」
驚いているあたしに、亜聡くんが謝った。
「あれ。悠、まだ帰ってなかったのか?」
教室を出たところで、声をかけられた。
「忘れ物取りに来た」
振り向くと、両手をポケットに突っ込んだ早瀬がいる。
「おまえこそ、まだ帰ってなかったのか」
いつもはさっさと帰るのに。
「ちょっとなー。お目当ての女の子にふられてきた」
言葉のわりには、全然気にした様子はない。
「彼女いたんじゃなかったっけ」
髪の長い大学生とか言ってた気がするんだけど。
「別れた。ちょっとね、本命出現?」
そう言って、ケラケラと笑う。
どこまで本気か分からない早瀬に、俺も笑った。
「おまえがココにいるってことは、校門のとこにいたのはやっぱ香月さんか」
笑いが収まったあと、早瀬が話を変えた。
「たぶん、りんだよ。木の下にいただろ?」
「ああ。窓から見えてさ。おまえ待ってたんだな」
そして、ニヤッと笑う。
「さっさと戻れよ?香月さん、他校の制服来た男に話しかけられてたからなー」
「…は?」
俺の反応はお構いなしに、早瀬はさっさと教室に入って行った。
とりあえず。さっさと戻った方がいいってことか……。
少しの間、ありきたりな挨拶を交わしたあと、おっとりとした笑顔を見上げて尋ねた。
「亜聡くん…どうかしたの?」
「りんさんの忘れ物を届けにきたんです」
「わざわざ?ありがとう」
差し出されたものを受け取って、あれ?と首をかしげた。
「どうして亜聡くんが?」
だって、亜聡くんがあの家に来たのは月曜だし。
悠があたしを迎えに来てくれたのは、昨日の火曜日。
「あ、悠…」
そう聞いたとき、ちょうど悠が戻ってきた。
そばに寄って来た悠に、亜聡くんが軽く会釈してあたしに向き直る。
「昨日も、香月家にお邪魔したんです。そのときに頼まれたんですよ」
「あたし、帰っちゃってて知らなかった…」
「悠さんというご友人とお帰りになられたと、景士さんからうかがいました」
やんわりとした笑顔をあたしに向ける。
「ごめんなさい。亜聡くんが家に来るなんて聞いていなかったから…」
チラリと悠を見て、苦笑した。
きっと、また蝶子姉さんが呼んだんだろうな…。
「気にしないでください。とても仲の良い女友達だと聞いていますから」
わざわざ迎えに来てくださったのでしょう? と、続ける。
数秒間を置いて、あたしと悠は顔を見合わせた。
女…友達?
「えっと…景士兄さんが…そう言ったの?」
「はい」
にっこり笑ってうなずいた。
「でも、違ったみたいですね。女の方ではなくて男の方だったようです」
そう言って、視線をあたしから悠へと移した。
悠を見る亜聡くんの表情は、相変わらずおっとりとした笑顔で。
はっきり言ってしまえば、何を考えているのか表情からは読み取れない。
景士兄さんの嘘に、怒っているのか怒っていないのかも判断できない。
「あの、ごめんなさい。兄さんが嘘ついたみたいで…」
兄さん、何でそんな嘘ついたのよ。
「あぁ。僕は気にしていませんから」
そう言って笑ったあと、腕時計を見た。
「それじゃあ、僕はそろそろ失礼させてもらいます」
「えっと…忘れ物届けてくれて、本当にありがとう」
「いいえ。りんさんに会いに来る、いい口実になりました」
「…え?」
悠と、ポカンとしたあたしに笑顔を向けて、亜聡くんは車に戻っていった。
「…今の誰か、聞いていい?」
亜聡くんが車に乗り込んだとき、後ろにいる悠が口を開いた。
その声で、はっと我に返る。亜聡くんの言葉に、驚いていたから。
「えっと…」
後ろを振り返って、悠を見上げた。
悠の表情はいつもどおりの笑顔なのに、どこか雰囲気が違う気がする。
なんていうか…ちょっと、ピリピリしているような。
声も、いつもより低い気がするし。
「春乃崎 亜聡くんっていって…」
その先をどう説明すればいいか迷って、言葉に詰まる。
素直に、父親が持ってきた見合いの相手だと言ってしまおうか。
でも悠には知られたくないな、とか考える自分もいて。
何でそんなことを思うのか、自分でも分からないんだけれど。
「言いたくないなら、無理には聞かないから」
黙ったあたしに、悠はそう付け足した。
言葉を探して、そらしていた視線を悠に戻す。
口元は笑っているけれど、目が少し寂しそうなのは気のせいだろうか。
「ほら、俺たち付き合ってるフリなんだしさ。あんまり踏み込んだらダメだよな」
その言葉を聞いて、ドクッと心臓が脈打った。
「…そうじゃないよ」
痛い。何かが刺さったような痛みを感じる。
悠と別れることを考えたときよりも、ずっと酷い。
「そうじゃ、なくて…」
無性に、泣きたくなった。
“付き合っているフリ”と、あたしは何度も口にしてきたのに。
悠に言われたのは、今が初めてで。それが、すごく悲しいと思った。
「ごめん。そんな顔しないで」
悠が困ったように笑う。
きっと、あたしは泣きそうな顔をして悠を見上げてるんだろう。
「…帰ろう」
そっと言われた言葉に、あたしは黙ってうなずいた。
駅まで歩いてるときも、駅のホームで電車を待っている今も。
あたしと悠は、ずっと黙ったまま。
その沈黙が苦しくて、余計に悲しくなる。
悠と別れることを考えても、胸が痛い。
悠に“付き合っているフリ”だと言われても、胸が痛い。
胸が痛くなるのは、あたしはそれが嫌だと感じているからで。
別れるのも嫌。
“付き合っているフリ”も嫌。
じゃあ、あたしはどうしたいの?
さっきから同じことを考えては、ため息が出る。
ホームに入ってきた電車に乗って、ドアのそばに立つ。
悠があたしを見て、苦笑に近い笑顔を浮かべている。
あたしも笑顔を作ったけれど、上手く笑えている自信なんてなかった。
「閉まるドアにご注意ください」というアナウンスが流れたとき、突然悠が動いた。
プルルルという注意を促す音が響いて、ドアが閉まったとき。
あたしは腕を掴まれて、ホームに引き戻されていた。
電車が出て行ったあとの静かなホームには、あたしと悠しかいない。
「ごめん」
耳元で呟かれた言葉に、顔を上げる。
「ごめん、りん」
あたしを電車から降ろしたことを謝っているんだと思った。
次の言葉を、聞くまでは。
「もう、付き合ってるフリっていうの…やめよう」
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