14. 心にタイムリミットを  |
真っ直ぐに家に連れて帰ってくれるのかと思ったら…。
なぜか真っ直ぐに、海につれて来られちゃいました。
「ねえ。どうして海に来てるの…」
バイクから降りて、ヘルメットを両手に抱えながら呟いた。
悠は砂浜に降りて、あたしはコンクリートの上に立っている。
あたしの呟きに、悠が振り返った。
「近かったから」
にっこり笑って、そう言った。
たしかにね、実家からけっこう海が近いよ。
でも、今日は平日。制服を着て砂浜に立つ悠は、すごく場違いに見えるんだけど…。
悠が笑ってるから、あたしもつられて笑った。
あたしも砂浜に降りて、悠の隣りへと歩く。
歩きながら、サンダルを履いていることを後悔した。砂がサンダルに入って痛い。
そんなに高くはないけど、ヒールのせいで歩きにくいし。
「大丈夫?」
あたしが顔をしかめたのに気付いたのか、悠がそばに来てくれた。
「…だ、大丈夫…」
サンダルなんて履いてるあたしが悪いんだから。せっかく悠が、ここに連れてきてくれたのに。
ちょっと自分の足を見てから、顔をあげた。
「……なに、その手」
そばに来た悠が、両腕を広げて笑っている。
何度も見たことのある、いたずらっ子のような笑い顔。
「足痛いみたいだから、抱き上げて…」
「あたしの体重を知らないから、そう言えるのね」
作り笑顔で、言葉を返す。
「悠に迷惑をかけたくないので、裸足で歩かせてイタダキマス」
そんな恥ずかしいこと、させるわけないでしょうが。
さっさと裸足になって悠の隣を通り越した。
実家の前でバイクに乗る前に由美にメールした。
時間的に授業中だと思ってメールにしたのに、すぐに電話がかかってきて。
授業は?って聞いたら、保健室に行くって宣言してきたという返事が。
すごく心配かけたんだなって、由美の声を聞いて思った。
明日は絶対に学校に行くって約束して。
悠が隣にいるって言ったら、ちょっと安心したみたい。
悠にも、由美にも。
心配させて、ごめんね。
心配してくれて、ありがとう。
「ねえ、悠」
波打ち際で立ち止まって、後ろを振り返った。
「土曜日、なにするの?」
土曜日はあたしの誕生日で。その日には何も予定を入れるなって、悠に言われてる。
「教えない」
あたしの隣りまで来て、ニヤッと笑った。
この笑い方、誰かに似てると思ってたんだけど…。
「それとも、行きたい所とかやりたいことある?」
「そういうわけじゃなくてね。何するのかなって思っただけ」
「まぁ、当日までヒミツってことで」
そう言って笑う悠の顔を見て、内心うなずいた。
景士兄さんと、笑い方が似てるかもしれない。
兄の顔がちらついた。兄にそっくりな姉の顔も。
あたしは、そろそろ逃げるのをやめないといけないんだね。
香月の家からも、兄や姉からも。
今朝の蝶子姉さんの言葉が、頭に浮かぶ。
―――りんに、この家に戻ってきてほしいのよ
ひとつひとつに向き合わなきゃいけない時期ってこと、なんだろうね。
もう、逃げるのはやめよう。あたしはいろんなことから逃げてきたから。
そして、悠との関係も。このままじゃ、いけないと思うから。
土曜日が、あたしの中のタイムリミット。
「お久しぶりです、先輩」
ホテルのロビーで、スーツ姿の男がソファーから立ち上がった。
高級感のあるホテルの雰囲気に、上手く溶け込んで違和感を感じさせない。
「突然呼び出して、すみません」
言葉では謝っているが、その表情は楽しそうに笑っている。
「久しぶりだな」
“先輩”と呼ばれた男も、やわらかく笑って言葉を返した。
2人は、ロビーから落ち着いた雰囲気のカフェへと場所を移した。
「で?今日はどうしたよ」
タバコを取り出して、火をつける。
「おまえが呼び出すんだから、何か面白いことでもあったんだろ?」
「お見通しですか」
灰皿を相手の方に押しやりながら、うなずいた。
「俺の下の妹が、先輩の甥っ子さんと付き合ってるらしいんですよ」
「甥っ子ねぇ…」
顔を思い浮かべるように、呟いた。
「でもね、俺の上の妹の方が、邪魔しようとしてて」
数秒間をおいて、“先輩”と呼ばれた男が笑い出した。
「で、俺に協力しろって言いたいんだな」
吐き出された紫煙が、天井へと上って消えていく。
「まぁ、そういうことですね。大野先輩」
ニヤッと笑って、景士はうなずいた。
「りん!!」
水曜日。教室に入ったあたしは、由美に抱きつかれた。
あたしが風邪で休んだんだと思っているみんなは、由美を見て笑っている。
「ごめんね、由美」
小声で謝ると、顔を上げてやっと笑顔を見せてくれた。
「しょうがない。許してあげよう」
そのかわり、何があったか教えてよ。と、いたずらっぽく笑った。
「あ、おはよう」
あたしの後ろへと視線を移した由美が、声の大きさを戻して言った。
振り向くと、悠が机の間を縫ってこっちに来るところだった。
「おはよう、悠」
あたしが笑うと、ちょっとホッとしたように「おはよう」と悠も笑う。
悠があたしたちのクラスに来るのは珍しいから。
きっと、あたしが学校に来てるか気にしてくれたんだろうな。
「…心配してくれて、ありがとう」
由美が誰かに呼ばれて気をそらしたとき、小さな声で言った。
悠は、ちょっと驚いた顔をしたけれど。すぐにいつもの笑顔に戻った。
「どういたしまして」
あたしだけに聞こえるような小さな声で、そう言った。
その日の休み時間は、休んだ2日分の授業ノートを写させてもらった。
写しながら、あたしを休ませた蝶子姉さんをちょっと恨む。
2日分なのに、かなりの量があったから…。
悠は、休み時間ごとに教室に来て、あたしがノートを写すのを眺めていた。
もともと悠が休み時間に来ることなんて少ないから、どうしたのかと聞いてみたら。
「また、いなくなりそうだから」
と、苦笑交じりの返事が返ってきた。
その返事に、ちょっとドキッとしたけれど。あたしは何も言わずに笑顔を返した。
あたしは、どうしたいんだろう。
素直に、あの家に戻るべきなんだろうか。
もし…。
もし、家に戻るとすれば。
あたしは、悠と別れることになるんだよね。
でも。別れることを考えると、胸にズキッと何かがつき刺さるような痛みを感じる。
2日ぶりの授業は、右の耳から左へと抜けていった。
全然集中できなくて、窓の外を眺めた。
ほとんど雲のない青空に、いろんな人の顔が浮かんでは消えていく。
景士兄さん。
蝶子姉さん。
亜聡くん。
そして、悠。
悠の顔を思い浮かべると、胸が痛い。
あたしは、どうするべきなんだろう。
どう、したいんだろう…。
そっとため息をついて、理解していない黒板の内容をノートに写し始めた。
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