13. どちらの味方?                               

  「あたしだって、会いたかったもん」

  そう言ったあと、恥ずかしさがこみ上げてきた。
  さっきだって、自分から抱きついちゃったんだし。
  それに…。
  悠のビックリしたような顔を見てると、余計に恥ずかしくなるのよね。
  今までこんなこと言ったことなかったから、驚くのも分かるんだけど。
  でも、こうやって素直に言えるようになってきたのはね…。
  ちょっと苦笑して、悠の表情を眺めた。
  あたしの中で、悠の存在が大きくなってきたからだと思うんだよ。
  付き合い始めた頃とは、全然違う。
  会えなくて、寂しかった。声が、聞きたかった。
  連絡もできなかったから、怒ってるんじゃないかってすごく怖かった。
  だから、ここに悠が来てくれてすごく嬉しい。いつもの笑顔が見れて、本当に安心した。
  安心感と嬉しさで涙が出るなんて、知らなかったよ。

  「ねえ。そのバイクどうしたの?」
  だって。うちの学校はバイク通学禁止だもん。
  悠は制服着てるし。いつも電車で登校してるんだから、バイクに乗ってるなんておかしい。
  「早瀬に借りたんだよ」
  「早瀬くん?」
  悠と仲がいいから、あたしも名前と顔は知っている。
  あんまり話をしたことはないんだけど。
  「あの、金髪の?」
  「今は茶髪になってるよ」
  早瀬くんの顔を思い出しながら言うと、悠が笑いながら訂正した。
  「でも、何でバイクがあるのよ」
  「バイク通学してるからね、あいつ」
  悠がバイクの鍵穴に鍵を差し込みながら言った。
  そういえば、前に早瀬くんは校則破りの常習だって、悠が言ってたけど…。
  バイク通学してるとは思わなかったな。
  それに、悠が免許持ってることにも驚いた。
  「さて、と…」
  悠がヘルメットを掴んで、あたしを見ながら言った。
  あれ、と思ってバイクのハンドルを見る。
  そこにもヘルメット掛けられていた。
  「ここにヘルメットが二つあるんだけど」
  悠はにっこり笑って、ヘルメットをあたしに差し出した。
  「りんは、どうしたい?」
  今気付いたけど、このバイクは二人乗りできるみたい。
  悠からヘルメットを受け取るか。
  それとも、ここでまた悠と別れるか。
  あたしは…どうしたい?
  頭よりも、手が先に動いた。
  「もちろん、安全運転でお願いね」
  両手でヘルメットを抱えて、返事をした。

  「りん」
  呼ばれて振り向くと、こっちに歩いてくる兄の姿があった。
  「…兄さん」
  「おまえ、手ぶらで帰ってどうすんだよ」
  たしかに、あたしはポケットに携帯を入れているだけだった。
  マンションの鍵も、全部部屋に置きっぱなし。
  「ほら」
  そう言って、あたしが持ってきたバックを差し出した。
  「帰っても…いいの…?」
  小さな声でそう呟くと、頭をクシャクシャとなでられた。
  「いいよ」
  一度悠に視線を移して、またあたしを見るとニヤッと笑った。
  「迎えも来てるみたいだからな」
  「…ありがとう」
  「蝶子に何か言われたら、俺に許可もらったとでも言っとけ」
  「うん」
  「じゃ、えっと…大野…だっけ?りんのこと、よろしく」
  最後に悠にそう言って、さっさと家に戻っていった。

  「あの人、お兄さん?俺の名前知ってたみたいだけど…」
  「10歳上のね。でも、あたし悠のこと話したことないよ」
  「なんだ。俺のこと紹介しといてくれたんじゃないのか」
  「は、恥ずかしくてそんな話してない!」
  あたしの反応に、おかしそうに笑う悠をちょっと睨んだ。
  「ほら、乗って」
  素直にバイクに乗って、悠の腰に腕を回した。
  さっき、自分から抱きついたことを思い出して、すごく恥ずかしくなる。
  悠に顔を見られなくて、本当によかった。
  悠の背中に頭をくっつけて、ホッとため息をついた。
  
  
  
  「ちょっと、りんは?」
  居間でコーヒーを飲んでいる双子の兄に、蝶子が歩み寄る。
  「帰った」
  蝶子が正面のソファーに座るのを確認して、景士(けいし)は素っ気なく返事をした。
  そして、組んだ足の上に置いた本へと、視線を戻す。
  「ちょっと、どういうこと!?」
  聞いていない、と言うように蝶子が声を荒げる。
  「もうすぐ亜聡さんがこっちに着くのよ?」
  だからどうした、と言うように景士がコーヒーを口に含む。
  その様子に苛立ちを覚えながら、蝶子はお手伝いの一人を呼び寄せた。
  紅茶を持ってくるように指示を出して、足を組んでソファーに沈み込んだ。

  「…おまえ、そんなに春乃崎とつながりを持ちたいわけ?」
  蝶子に紅茶が運ばれてきた頃、景士が口を開いた。
  性別の違いはあるが、目や口元などの顔のつくりがそっくりな妹を見る。
  「りんにとっても悪い話じゃないでしょう?」
  紅茶を一口含み、向かいのソファーへと視線を移す。
  「…それに、春乃崎との関係は、景士にとっても悪いものじゃないんだから」
  「なに、俺の心配もしてるわけか?」
  パタン、と読んでいた本を閉じてローテーブルに置いた。
  「当たり前でしょ。お父様が、あんたに会社のことも全て任せるって決めたんだから」
  コーヒーを飲み干して、それもローテーブルに置く。
  「俺が香月を動かしていくのに、心もとないのは分かるけどさ」
  紅茶を飲む蝶子を眺めながら、腕を組んでソファーに沈み込んだ。
  「そのために、いくら悪い話じゃないとはいえ、りんまで巻き込むのか?」
  「それは…」
  景士の言葉に反論しようとして開かれた口は、すぐに閉じられた。
  何かを言おうとして、何も声となっては出てこない。
  「かーわいい妹を巻き込むなんて、俺はできないなぁ」
  景士がニヤリと笑う。何かを企んでいるような笑み。
  「さっき、大野がりんを迎えに来てたんだ。りんが廊下を走ってただろ?」
  「大野って…りんが付き合ってるっていう?」
  少し驚いたような顔をした。
  「でも、りんが廊下を走ってたかなんて知らないわ」
  廊下は絨毯張りで、足音を吸収してしまう。
  なんとなく、乱暴にドアが閉められるような音を聞いた気はするが。
  「りんのヤツ、俺の目の前を爆走してった」
  あの時のりんの顔を思い出して、少し苦笑した。
  あんな表情を見せられれば、見合い話を進める気も失せるというもの。
  それを見ていない蝶子には、分からないのだろうけれど。
  ローテーブルの上の、本のそばに置いていた紙の束を手に取った。
  一枚めくると、「大野 悠」の文字が目に入る。
  りんには悪いとは思うが、大野のことを人を使って調べさせていた。
  「このまま、自由につき合わせといてもいいんじゃないか」
  大野のことを調べさせたのは、妹への“心配”の二文字から。
  他に、意味はない。
  「おまえはおまえで、好きなように動けばいいさ。春乃崎を取ればいい」
  また、ニヤッと笑う。
  「俺は俺で、大野を取るよ」
  楽しそうに笑う景士を、蝶子は呆れたように見た。
  「ゲーム(遊戯)じゃないのよ?」
  「いや。ゲーム(駆け引き)だよ」
  笑った表情を崩さずに言ったとき、静かにドアが開いた。
  「失礼いたします。春乃崎様がお着きになられました」
  古株のお手伝いが、静かに告げた。


  景士と蝶子が応接間に入ると、亜聡が立ち上がって頭を下げた。
  「ようこそ、亜聡さん。昨日も今日もお呼びして、ごめんなさいね」
  「いいえ。僕の方こそ図々しくお邪魔して、申し訳ありません」
  おっとりとした笑顔と話し方で、亜聡が言葉を返した。
  あとから部屋に入った景士をちらりと見て、蝶子は亜聡に座るように促す。
  同じ御曹司でも、景士と亜聡の性格は全く似ていない。
  まぁ、景士も他人の前では猫をかぶることくらいはしているのだろうが。
  「それでね亜聡さん。こちらからお呼びしたのに、申し訳ないのだけれど…」
  もちろん、りんに会わせるために亜聡を呼んだのだ。だが、肝心のりんはここにはいない。
  「りんが、帰ってしまったの」
  少し驚いたように、亜聡の表情が動いた。
  「りんの友達がね、ここまで迎えに来たんだ」
  蝶子の言葉を、景士が引き継いだ。
  「お友達ですか」
  仲がよろしいのですね。と、亜聡はおっとりと笑う。
  「ええ。実は…」
  「悠チャンといってね、とても仲がいいらしいんだよ」
  蝶子をさえぎって、景士が笑う。
  驚いた蝶子に口を挟む機会を与えず、景士は話を進めていった。

  悠を女の子だと勘違いさせたまま、亜聡を送り出したあと。
  「景士!!」と、蝶子が怒鳴ったのは言うまでもない。