10. つながらない電話 |
白いレースのカーテンを透かして、広い庭が見える。
季節毎に違う花が咲いて、この庭から色が消えることはない。
窓際に立って、ただぼんやりと眺めた。
小さい頃から、庭の景色は変わらない。どの花が咲いているかは別にして。
他人からは絶賛されるようなこの庭が、あたしは好きじゃなかった。
小さな頃は、ここで遊んだ。広いこの庭で、一人。
でも、他に遊ぶ所がなかったから、ここにいただけ。
好きかと問われれば、あたしは首を横に振る。久しぶりに見ても、その感情はかわらない。
「約束…破っちゃった…」
外を眺めながら、ポツリと呟いた。
昨日は悠たちと水族館に行ったはずなのに。
それが、すごく前の話のような気がする。
「怒るだろうな…悠」
お弁当作ってあげるはずだったんだけど…。嬉しそうに、笑ってくれていたのに。
今日、学校に行っていないあたしを、どう思うだろう。
由美にだって連絡していないし。いつも休むときはメールしてるのに。
壁の時計を見上げて、ため息をつく。
もう少しで学校は昼休みだ。
その時、カチャッとドアが開く音がして、ゆっくり振り返った。
「お久しぶりです、りんさん」
入ってきた人物は、おっとりとした笑顔でそう言った。
開いたドアが閉められてから、あたしは口を開いた。
「……久しぶりね、亜聡(あさと)くん」
「大野くん!!」
1時間目の授業が終わって、2時間目は移動教室だった。
廊下に出てすぐに、後ろから呼ばれて振り返る。
「…おはよう、津ノ田さん」
俺を呼んだのは、いつもりんと一緒にいる津ノ田 由美だった。
「おはようッ」
もどかしそうにそう言って、俺のそばで立ち止まった。
普段は落ち着いた雰囲気がある彼女が、今はどこか違っている。
あせったような声音に、ひそめられた眉。
「どうした?」
彼女の様子に、俺は笑顔を消した。
俺を待っている友達に先に行けと手で示し、もう一度尋ねる。
「なんかあった?」
壁際に移動して、津ノ田に視線を向けた。
「りんが来てないの。携帯にもつながらなくて…」
休むときはメールくれるんだけど。と、津ノ田が携帯を握り締めた。
「大野くんには、何か連絡あった?」
自分の携帯を確認して、首を横に振る。
「きてない」
昨日のりんは、体調が悪そうには見えなかった。
突然具合が悪くなったとしても、津ノ田に連絡くらいするだろうし。
「…担任に聞いてみた?」
「うん。休むって連絡が入ったんだって」
「りんから?」
「それはわかんない。別の先生から伝言されただけらしいし」
学校には連絡して、いつもメールする津ノ田には何もない。
もちろん俺にも。
ちょっと迷って、りんに電話してみた。
プップップッ…という音が続いたあと、それが途絶える。
『…電波の届かない場所におられるか、電源が…』
最後まで聞かずに、終話ボタンを押した。
俺を見ている津ノ田に、首を振る。
やっぱりと言って、津ノ田はため息をついた。
「……とりあえず、もうちょっと様子みよう」
もしかしたら、連絡が入るかもしれない。
そう言って、津ノ田と別れて歩き出した。
そのあとの授業は、ほとんど上の空だった。
いくら考えても、昨日のりんの様子がおかしかったとは思えない。
そのまま、ただ時間が過ぎて。
昼休みのチャイムが鳴ると、友達に誘われるままに学食へと移動した。
結局、1日の授業が終わっても、りんから連絡は入らなかった。
俺にも、津ノ田にも。
ソファーに座って、出された紅茶の湯気を眺めた。
ふわりと言うような表現が似合う笑顔の亜聡くんが、正面に座っている。
「りんさんはレモンティーが好きでしたよね」
黙ってうなずくと、嬉しそうに顔を緩める。
「こちらに伺う途中で、紅茶の専門店に寄ってきたんです」
ローテーブルからカップを取って一口、口に含んだ。
「りんさんに飲んでいただきたくて、さっきお願いして淹れてもらったんですよ」
確かに、美味しいし香りもいい。
「……ありがとう。すごく美味しい」
「よかった」
ホッとしたように言って、亜聡くんもカップを取った。
日曜日の帰り。
悠が送ってくれると言うのを駅の所で断って、一人でマンションに帰った。
エントランスへと続くオートロックのドアの前で、あたしは呼び止められた。
振り向いたとき、あたしは固まった。
外国に行っているはずの、10歳年上の姉が立っていたから。
「蝶子(ちょうこ)姉さん…」
驚きながら、背の高い姉を見上げて呟いた。
「久しぶりね。元気だった?」
どこか嬉しそうに目を細めて、優しく笑っている。
「うん」
姉の笑顔から目をそらして、バックから鍵を取り出した。
「上がっていくでしょ?」
「ええ。パーキングに車を置いてくるから、先に行っててくれる?」
あたしがうなずくのを見て、車に戻って行った。
姉の後ろ姿が見えなくなってから、溜め息をもらす。
驚いた。いつも会いに来るときは連絡してくるのに。
エレベーターに乗って、壁にもたれかかる。
何か…あったのかな。
少し不安もあるけど、それでも久しぶりに姉さんに会えた喜びも大きかった。
あたしには兄と姉がいる。兄と姉は双子で、あたしと年が10離れているから、今年で27歳。
年が離れているせいか、小さい頃からとても可愛がってもらった。
あたしも優しい兄と姉が自慢だったりする。
「でもなぁ…」
姉に出す紅茶を淹れるために、ヤカンを火に掛けながら呟いた。
悠と付き合っているフリをする理由は、姉にある。まだその理由を、悠に話してはいないけれど。
いつか。
ちゃんと話せる日が来ればいいと思う。
話したら、呆れられるような理由ことかもしれないけど…あたしにとっては…。
その時チャイムが鳴って、姉を招き入れるためにインターホンの受話器を取った。
昨日の夜のことを思い出しながら、紅茶を口に含む。
まさか、実家に連れてこられるとは思わなかった。姉が気まぐれで、あたしの所に来たのかと思ったのに。
あたしを連れて帰るためだったとはね…。
学校にも勝手に休むって連絡入れちゃうし。おまけに携帯も取り上げられちゃって。
「ここにいる間は、携帯なんて使っちゃダーメ」
なんだそうで。
あたしにしてみれば、いじめのように感じるんだけど。
だって。悠にも由美にも連絡ができなくて困ってるんだもの。
何で連れてこられたのか、まだ教えてもらってないし。
それに…。
正面に座っている亜聡くんをチラッと見て、そっと溜め息をついた。
亜聡くんが来るなんて、聞いてないわよ。蝶子姉さんが呼んだに決まってる。
「失礼いたします」
静かにドアが開いて、うちで働いている女の人が入ってきた。
だいぶ前からいる人で、あたしも小さい頃からお世話になっている。
「春乃崎様。お電話が入っております」
あたしたちに一礼して、そう言った。
「分かりました」
亜聡くんはあたしに「すみません」と言って部屋から出て行った。
一人になって、急に力が抜けたような気分になった。無意識に、体に力が入っていたみたいで。
亜聡くんと二人でいたせいか。それともこの家にいるせいか。
ふいに悠の笑顔が思い浮かんだ。
悠といるときは、体に力が入って疲れることなんてなかったな…。
昨日も会っていたのに。
今、悠に会いたくてしかたがない自分がいる。
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