09. 交換条件                                   

  「はーるーかー!」
  何度呼んでも、あたしの方を見ようとしない。
  顔を背けて、何も聞こえません。みたいな感じ。さっきからずっとこの状態。
  「もう。イルカショー始まるのに!」
  知架ちゃんと約束したんだから。
  「悠ってば…」
  イルカショーが始まるからと、知架ちゃんに連絡を取ろうとした。
  それなのに、また悠に携帯を取り上げられちゃって。
  悠に携帯を持った手を高く上げられたら、あたしの身長じゃ届かない。
  手も握られたままだから、動きを制限される。
  「なんであの2人と合流しなきゃなんないんだよ」
  「だから、知架ちゃんと約束したの!」
  このセリフも、何回言ったか分からないし。
  悠はあの2人と合流したくないみたい。
  「なんでそんなに妹に会いたくないのよ」
  こんな悠は初めて見た。
  いつも飄々として、ちょっと大人っぽいイメージだったから。
  「妹より、りんがいい」
  「あたしも一緒にいるでしょ?」
  悠の前に回りこんでも、また顔を背けられてしまう。
  もう。そろそろ行かないと、イルカショーの席が混んじゃうじゃない。
  「……じゃあ、1つだけ言うこときいてくれる?」
  ちょっと黙ったあたしをチラッと見て、悠が言う。
  「なにそれ」
  交換条件ってこと?
  こっちを見た悠の顔に、意地の悪い笑顔を浮かんでいる。
  そう見えるのは、あたしの気のせい…かな。
  「変なことじゃないでしょうね」
  ジトッと悠を見上げて、聞いてみる。
  だって。その顔は何かたくらんでるような気がするんだもん。
  「さぁね。で、どうする?」
  笑顔を崩さないままで、はぐらかす。
  はぁ、と小さくため息をついてうなずいた。
  「…わかった。でも!明日以降にできることなら、ね」
  明日以降、と牽制しておく。
  そうじゃないと、ショーのあとに、またあの2人と別れて行動しそうだし。
  悠は、明日以降ねと苦笑して、やっと携帯を返してくれた。
  すぐに知架ちゃんに電話をかける。
  知架ちゃんの「もう席とってありますから!!」という声に、悠がため息をついた。
  そんな悠の手を引いて、さっさと歩き出す。
  「悠、早く!!」
  振り向いて笑うと、悠があきらめのような笑顔を浮かべた。
  そして、あたしの隣に並んで歩調を速めた。

  知架ちゃんたちがとっていてくれた席に座って、ショーが始まるのを待つ。
  ショーステージに向かって、左から河神くん、知架ちゃん、あたし、悠の順。
  「お兄ちゃん、わざとはぐれたんだって!?」
  と、あたしを挟んで、知架ちゃんが悠に噛み付いている。
  河神くんは、ただ笑って見てるだけ。
  止めようとか思わないのかな…。
  そう思いながら見ていると、河神くんは笑って言った。
  「いつものことなんで、ほっといても大丈夫ですよ」
  「いつも…こんな感じ?」
  「こんな感じ」
  さわやか〜に言ってくれるから、そうですか、としか言いようがない。
  なんだか河神くんて、悠と似てるところがあるみたい。
  河神くんとこそこそ話していたら、肩を掴まれて引き戻された。
  「りん、河神と何しゃべってんのさ」
  「うわー、お兄ちゃんヤキモチ?」
  「うるさい」
  知架ちゃんの言葉を、きっぱりと切り捨てる。
  「まぁまぁ。ほら、始まるよ」
  大音量で音楽が鳴り、イルカがプールから顔を出した。

  「ねぇ、悠。さっきの“言うこときいて”ってやつ、あたし何すればいいの?」
  ショーの途中で、ふと思い出してきいてみた。
  「あぁ、あれ?」
  にっこりと笑って、顔を寄せる。
  大音量で音楽が流れているせいで、顔を近づけないとよく聞こえない。
  「りんにね、弁当作ってほしかったんだよ」
  金曜に作ってくれた夕飯、美味しかったから。と、続ける。
  「…それで、いいの?」
  「それが、いいんだよ」
  嬉しそうに笑うから、あたしもつられて笑ってしまう。
  「わかった。明日作っていくから」


  でも、あたしは月曜日にこの約束を守ることができなかった。