08. 日曜日の計画                                

  「イルカショーまで、まだ1時間以上ありますね」
  隣りで、知架ちゃんがパンフレットを覗き込んでいる。
  さっき入場口の所で、ペンギンの着ぐるみが配っていたやつだ。
  今日は晴天。気温もぐんぐん上がっちゃって、外にいると暑くてたまらない。
  こんな時にあんな物を着て頑張っているバイトさんに、心の中でエールを送った。
  「先に中から見て回るか」
  悠が知架ちゃんからパンフレットを受け取って、眺めながら言った。
  「外にいると、暑くてたまらないからな…」
  でも、イルカショーって屋外よね。
  少し離れた所で、おどけた動きをするペンギンを見ながら思った。
  ペンギンの足元に、小さい子供が群がっている。
  あーあ。歩きにくそう…。
  「りん」
  ちょっと苦笑した時、視界に悠の顔が飛び込んできた。
  反射的に、一歩後ろに下がる。
  「な、なに?悠」
  ビックリして、声がちょっと裏返ってしまった。
  「…ボーっとしてると、置いて行くよ?」
  一拍おいて、悠がにっこりと笑った。

  今朝。
  どんな顔をして悠に会えばいいのか分からないまま、待ち合わせ場所に向かった。
  駅について、時間を確認する。約束の時間の10分前だった。
  待ち合わせ場所は、水族館の最寄り駅のオブジェ前。
  改札を出ると、悠が4人くらいの女の子と一緒にいるのが見えた。
  「なんなの…、あれ」
  悠が声をかけたんじゃないことくらい、頭では分かっているんだけれど。
  少しイライラしてくる。人が悩みながらココまで来たって言うのに…。
  立ち止まって見ていると、肩を叩かれた。
  「りんさん?」
  振り返ると、河神くんが不思議そうにあたしを見ている。
  「どうかしたんですか?」
  こんな所で止まっちゃって、と首をかしげている。
  あたしは苦笑して、視線をオブジェの方に向けた。
  「アレ。どうしようかなぁと思って、ね」
  オブジェを見た河神くんは、納得したように「あぁ」とうなずいた。
  「俺が呼んで来るんで、ここにいてください」
  「…ねぇ、知架ちゃんは?」
  歩いて行こうとした河神くんを呼び止める。
  「もう着くと思いますよ。今メール来たから」
  ちょっと振り返って、携帯を左右に揺すりながら笑って言った。


  金曜日の夜。あのキスのあと、あたしは固まったまま動けなかった。
  頭が真っ白になっていて、ただ悠の顔を見ているしかできなくて。
  そのあたしを、悠はただ見つめていた。

  「…りん」
  少したってから、悠に呼ばれてハッとした。
  「大丈夫?…固まっちゃってるけど…」
  マンションからの光で、悠の困ったような笑顔が見える。
  我に返ったあたしは、一気に顔に血が上っていくのが分かった。
  「お、送ってくれてありがとう!…じゃあねッ!!!!」
  一気にまくし立てて、逃げるようにマンションに飛び込んだ。
  「…ごめんね」
  あたしが背を向けたとき、悠が小さな声で、そう呟いたのが聞こえた。


  河神くんと歩いてきた悠は、いつもの笑顔をあたしに向けた。
  何事もなかったように接するから、ちょっと拍子抜けしてしまう。
  あたしがいろいろ考え込んだりしてたのは、なんだったんだろうって。
  悠にとっては、気にするほどのことじゃなかったってことかな、とか。
  そう考えたりして、ちょっと悲しくなった。

  あのキスは、どういう意味だったんだろう。
  それに…。
  最後に言った「ごめんね」って、どういうこと。
  なんで謝ったの?何を謝ったの?
  ねぇ、悠……。



  「あれ。悠、知架ちゃんと河神くんがいないよ」
  悠と並んで、今朝のことを思い出しながら水槽を見ていたんだけれど。
  ふと振り返ってみると、近くに2人の姿がない。
  「あぁ…」
  さして驚いた様子もなく、悠も立ち止まってあたしを見た。
  「はぐれちゃったみたいね」
  バックから携帯を取り出しながら、周りを見回した。
  オープンしたばかりだし、日曜なだけあって、だいぶ人が多い。
  「…ちょっと、悠?」
  知架ちゃんに電話をかけようとしたあたしの手から、悠が携帯を取り上げた。
  パタンと携帯を閉じて、いたずらっぽく笑う。
  「電話なんかしなくても大丈夫だよ」
  「はぐれちゃったのに?」
  あたしが首をかしげると、おかしそうに声を漏らした。
  「違うよ、りん」
  違うって、何が…?
  そう言おうとしたとき、先に悠が口を開いた。
  「はぐれちゃったんじゃなくて、はぐれてもらったの」
  どういうことよ、それ。
  首をかしげながら、悠を見る。
  「河神にも手伝ってもらって、ね」
  してやったり、という感じの笑顔を浮かべている。
  「やっぱりさ、りんと2人でいたいから」
  あたしの手をとって、さっさと歩き出した。
  「最初からそういうつもりだったの!?」
  ちょっとあきれながら尋ねると、足を止めずにあたしを見た。
  「もちろん」
  いたずらが成功したときのような顔で、悠が言った。

  いつも、あたしは悠のペースに乗せられてしまう。
  今日だってそう。
  ちょっと悠に仕返しもかねて、知架ちゃんたちを誘ったのに。
  悠ったら、河神くんとこんな計画立てちゃってるんだから。
  それに…。
  おかげで今朝まで悩んでたことなんて、どこかに行ってしまった。
  悠とギクシャクするよりは、ずっといいんだけど。
  隣りに立っている悠を、チラッと盗み見た。
  このまま知架ちゃんたちと合流しない気なのかな。
  イルカショーを見ようねって、知架ちゃんと約束してたんだけど。
  あたしの視線を感じたのか、悠が振り向いた。
  「…どうかした?」
  「ゴーイン」
  ボソッと言ってやると、悠が吹き出した。
  「うわ。はっきり言ったな」
  「河神くんも協力しちゃってるし…」
  悠が河神くんに今日の計画を提案したとき、二つ返事で了解したらしい。
  クスクス笑いながらあたしを見ている。
  「前に言ったじゃん。俺はりんと2人でいたいの」
  はっきり言われると言葉に詰まる。
  なんで悠は、こういうことをさらっと言ってのけるんだろう。
  それに…。
  「…いつまで手つないでるのよ」
  「嫌?」
  うっ。
  そこで聞き返してこないでよ。
  「嫌じゃ…ないけど…」
  あたしの返事に、悠はまた笑い出す。
  「だってさ。なんか周りにいる男が、みんなりんを見てるような気がするんだよね」
  「そんなわけないでしょ」
  あたしからすれば、悠の方が女の人に見られてる気がするわよ。
  「俺がりんと手をつないでいたいってのもあるけど…」
  ちょっと周りを見回してから続ける。
  「俺の彼女だって見せつけるってのも、あるんだけどね」
  そう言って、楽しそうに笑った。
  「なにそれ…」
  あたしも悠につられて、ちょっと笑う。
  「じゃあ、あたしも悠が彼氏だって見せつけなきゃね」
  あたしの手を握る悠の手を、ぎゅっと握り返した。


  あたしね、悠。
  最初は悠のこと、ただの偽物の彼氏でしかないと思ってた。
  だから、必要以上に踏み込んじゃいけないって。
  そう思ってたんだ。
  でも今は、違う気持ちが生まれてきてる気がする。