06. 二人の時間                                 

  「こいつらさ、りんに会わせろってうるさかったんだよ」
  2人の分の麦茶を持ってきた悠が、あたしの隣りに座りながら言った。
  あたしの頭には、さっきから「?」が浮かんでいる。
  「だって。お兄ちゃん、いつもりんさんのこと話してるんですよ」
  あたしの正面のソファーに座っている知架ちゃんが、そう言って笑う。
  「あたしの話?」
  「自慢話に近いかも」
  何を自慢することがあるのよ。
  隣りの悠を見ると、わざと顔を背けて目を合わせようとしない。
  「きれいな人だって聞いてたんですけど、本当ですね〜」
  ちょっと待って。どんな話をしてるのよ!
  にっこり笑って言うから、恥ずかしくてむずむずする。
  もう、悠のヤツ。こんな子の前じゃ、怒るに怒れないじゃない。
  「知架ちゃんて、笑顔が悠と似てるよね」
  さりげなく話題を変えた。
  「そうですか?」
  「うん。笑ってる時の目元がそっくり」
  さすが兄妹。
  「でも。笑顔は似てるけど、悠と違って知架ちゃんの方がずーっと素直そう」
  「俺と違ってって、どういうことだよ」
  「言葉のとおりです」
  今度はあたしがそっぽを向いて、言い返した。
  「志月は双子の弟がいるんですよ」
  「一卵性なんで、よく間違えられます」
  ずっと笑うだけだった河神くんが、口を開いた。
  「あたしもたまに間違うしね」
  この間も間違えて、怒られました。と、知架ちゃんが苦笑した。

  いろいろ話すうちに、すっかり知架ちゃんと仲良くなった。
  表情がコロコロかわって、本当にかわいいと思う。
  最初は正面に座っていた知架ちゃんは、悠をどかせて、あたしの隣に移っていた。
  次から次へと話題を変えていくあたしたちを、男2人組は呆れ顔で見ている。
  「おまえら、よくそんなにしゃべってられるな…」
  会話が途切れたところで、悠が口を挟んだ。それに同意するように、河神くんは黙ってうなずいている。
  時計を見ると、だいぶ時間が過ぎていて驚いた。
  2人が呆れるのも仕方ない…かな。
  「知架、そろそろ帰ろう」
  「…うわ。時間たつの早すぎ」
  「しゃべりすぎなんだよ、おまえらが」
  悠があきれ声で言った。
  「じゃ、そろそろ帰るね、お兄ちゃん」
  「気をつけろよ。河神、あとよろしく」
  なんだかんだ言っても、やっぱり妹がかわいいんだろうなぁ。
  学校では見られない悠の一面を見て、思わず笑ってしまう。
  「わかってますよ。何かあったら、俺が悠さんに殺される…」
  半ば本気で言っているような気がする。
  「知架ちゃん、河神くん。またね」
  「またおしゃべりしましょうね!!」
  悠とそっくりの笑顔でそう言って、帰って行った。

  「知架ちゃんみたいな妹、あたしもほしかったな」
  またソファーに座る。
  「そう?」
  「なんか、元気分けてもらえそう」
  そうかもね、と笑って悠は麦茶を飲み干した。
  「あたしもそろそろ帰ろうかな。夕飯作らなきゃいけないし」
  時計を見ながら何気なく呟くと、悠が首をかしげた。
  「夕飯、りんが作ってんの?」
  「……うん」
  立ち上がろうとすると、腕を掴まれて引き戻された。
  「悠?」
  「もしかしてさ…りん、一人暮らし?」
  一瞬、躊躇して、結局は素直に頷いた。嘘をつくのはイヤだった。
  何かを考えるように黙ったあと、悠が笑顔を作った。いたずらを思いついたような、そんな顔。
  「りん、一緒に夕飯食べよう。っていうか、りんの料理が食べたい」
  「……なにそれ。あたしに作れって言うの?」
  ちょっと睨みながら言ったけど、悠は笑って受け流す。
  「……質問に答えてくれたら、作ってあげる」
  最後はあたしが負けるんだもん。
  でも、タダでは作ってあげないんだから。
  「いいよ」
  嬉しそうに、悠は頷いた。
  小さくため息をついてから、きいてみる。
  「1つ目。いつも知架ちゃんに、あたしの何を話してるのよ」
  「え…あー……」
  視線をあさっての方向に向けて、目を合わせようとしない。
  「“いつもりんさんのこと話してるんですよ”って知架ちゃんが言ってたじゃない」
  知架ちゃんの言葉を繰り返す。
  「もう。恥ずかしくてむずむずしてたんだからね!」
  パシッと悠のひざを叩いた。
  「変なこと言ってないでしょうね」
  「変なことなんてないし…」
  気付くと、心なしか悠の顔が赤くなっている。
  「べつに……りんは美人だって言っただけだよ…」
  頭をかきながら、ぼそぼそと言った。
  「いつもって言ってたわよ?毎回そんなこと言ってるのー?」
  じと目で、悠の顔を覗き込む。
  「…ったく、知架のヤツ…」
  余計なこと言いやがって、と口だけが動いた。その様子に、思わず笑ってしまう。
  ちょっといじめすぎたかなぁ。
  でも、少しすねたような悠の顔は初めて見た。今日は見たことのない悠がいっぱいで、ちょっと嬉しい。
  「…じゃあ、2つ目の質問」
  そう言うと、明らかにホッとした顔で悠があたしを見た。
  今度知架ちゃんに会ったときにでも、聞き出してやろう。
  「次は何?」
  「水族館に行きたい」
  この間オープンしたばかりの水族館があって。そこに行きたいなーって思ってたのよね。
  悠はポカンとして、あたしを見ていた。
  「…ねぇ?」
  あたしとじゃイヤ、かな…。
  ちょっと心配になってしまう。
  最近、悠が絡むと不安になることが多い気がする。どうしたんだろう、あたし。
  「悠…?」
  あたしが名前を呼ぶと、悠は突然笑い出した。
  「りん。それ、質問じゃないだろ?」
  ソファーにもたれて、おかしそうに言う。
  本当、知架ちゃんと笑顔がそっくりよね。
  そんなことを考えていたら、いきなり腕を引っ張られた。気付けば、あたしは悠の腕の中。
  「なっ…ちょ、ちょっと!悠!?」
  突然のことだったから、驚きで声がひっくり返ってしまった。
  だって!!今までこんな風に抱きしめられたことなんて、1回もなかったんだから!
  もがけばもがくほど、余計に強く抱きしめられる。
  「りんのほうからどこかに行きたいって言ったの、初めてだよな」
  「う、うん…」
  付き合ってるフリってことになってるから…。そういうこと、言っちゃいけない気がしてたんだもん。
  そんなことよりも…。心臓がすごくバクバクしてる。密着してるから、絶対悠にも伝わってるよね…。
  「…ちょっと、悠?」
  声がひっくり返らないように気をつけながら、声をかける。
  悠が、抱きしめたまま黙ってしまったから。
  いいかげん、離してほしいんだけど…。ドキドキしすぎて、苦しくなってきちゃったよ。
  「え?…なんか…嬉しくて、ね」
  「そ、そろそろ離してよ」
  あたし、絶対顔が赤いわ…。
  「……ヤダって言ったら?」
  この体勢のせいで、顔は見えないけれど。
  声の響きが、いたずらっぽい表情をしていることを教えてくれた。
  「はーなーしーてー!」
  あたしがジタバタしても、一向に腕が解かれる様子はない。
  悠がクスクス笑っている。
  あぁ、もう。焦ってるのはあたしだけ。なんで悠はこんなに余裕なのよ!
  ますます顔が赤くなっていく気がする。
  「あれ。もう抵抗終わり?」
  あたしが動くのをやめると、少しだけ腕を緩めた。
  そして顔を覗き込まれる。
  「……夕飯、作ってあげないんだから…」
  「それはイヤだ」
  悠が即答して、苦笑した。
  あたしが、フンというようにそっぽを向くと、やっと腕が解かれた。