04. 帰りの誘い                                  

  「りん」
  珍しく、お昼休みに悠があたしのクラスに入ってきた。
  由美と一緒にお弁当を食べていたあたしの、隣の席に座る。
  「弁当、美味そうじゃん。りんの母さんは料理上手いんだ?」
  悠が、まだ食べ始めたばかりのお弁当を覗き込んで言った。
  「違うよ、大野くん。これはりんが作ったの。りんて、料理かなり出来るんだから!」
  由美がなぜか自慢げに答えて、あたしは苦笑した。
  「ホントに?うわ、知らなかった。りんは料理ダメそうに見える…」
  驚いて、お弁当とあたしを見比べる悠。
  「…何よ、その顔。そんなに下手そうに見えるの?」
  ちょっとムッとして呟いた。
  「いや…なんか、りんて塩と砂糖を間違えたりしそうな感じがするし…」
  「そんなことないです!!」
  もう。そこまで言う?
  「りん、大野くんに言ってなかったのー?」
  「…だって。言う機会なかったし。お弁当作ってあげるわけでもないし」
  「あ。りん、すねてるでしょ。大野くんのせいだよ?」
  由美が楽しそうに悠を肘でつついた。
  べつに。すねてるわけじゃないわよ。これでも料理は得意なんだから。
  それなのにそんなこと言われて、ちょっとショックなだけだもん。
  「りん、ごめん!…今度俺にも作ってよ」
  「ヤダ」
  「あー…即答だし」
  参ったな、というような顔で悠は頭をかいた。
  「ところで、大野くん。りんに用事じゃなかったの?」
  由美がさらりと話題を変えた。
  悠への助け舟?
  「あぁ、そうそう」
  悠はあたしの様子を伺いながら、言った。
  「りん、来週の土曜は何も予定入れるなよ?」
  「来週?何で?」
  土曜日って、何かあったっけ?
  「何でって…りんの誕生日じゃん」
  そういえば、今年の誕生日は土曜日だったっけ。
  「…あたし、悠に誕生日教えたっけ?」
  4ヶ月一緒に帰ったりしてるけど。そういう話はしたことなかったと思う。
  由美を見ると、ニヤニヤしながら話を聞いている。なんだか、やけに楽しそう。
  「俺、これでも一応りんの彼氏ですから。ちゃんと調べたんだからな」
  悠が苦笑する。
  「ちなみに。情報源は津ノ田 由美さんです」
  相変わらず、由美はニヤニヤ…。
  そのうち真面目な表情出来なくなるんだから。
  「とりあえず、土曜は空けといて」
  そう言って、さっさと教室から出て行ってしまった。
  あたし、まだ空けとくなんて言ってないんだけどな…。
  「大野くんてさ」
  悠の姿が見えなくなってから、由美が口を開いた。
  「りんのこと、本当に好きなんだろねー」
  今の由美はニヤついてなんかなくて、ほんわりした笑みを浮かべている。
  由美の言葉を理解するのに、少し時間がかかった。
  だって…、あたしたちは付き合ってるフリをしているだけ。
  お互いにそんな感情、持ってなかったはずなのに…?
  「何で…そう思うの?」
  「んー。今だってさ、大野くん、照れてたみたいだよ」
  照れてた?どこが?
  「それに」
  あたしの反応はお構いなしに、由美は続けた。
  「りんの誕生日を聞かれたのって、あんたたちが付き合い始めてすぐだったんだから」
  付き合い始めって…だいぶ前じゃない、それ。
  「あとは。ほら、“お呼び出し”の時だって、りんに正直に言うみたいだし」
  「それは、いつも一緒に帰るから…」
  「他の理由作って、りんに言わないでおくことも出来るでしょ?」
  「……」
  「それってさ、りんに誤解されたり、嫌な思いさせたくないからだと思うなー」
  「呼び出されてるって言われる方が嫌じゃない、普通」
  あたしは食い下がる。
  悠に対する感情が、あたしの中でグルグルと渦巻き始めた。
  「まぁ、それは考えようよね。あたし的には…」
  卵焼きを口に放り込んでから、由美は続ける。
  「“呼び出されたけど、りんのことが好きだから”って暗に示してるように思えるわけよ」
  それは考えすぎじゃないの…?
  そう思ったけど、口にはしなかった。
  他の人の目にどう映っていようと、あたしたちの関係は偽物だから。
  だけど、渦巻く感情を整理できない。
  結局、胃の辺りがおかしくなってお弁当を半分残してしまった。
  
  
  
  「りん」
  教室の入口で、いつものように悠があたしを呼ぶ。
  渦巻く感情は、まだ片付いてはいなかったけれど。普通に話はできた。
  靴を履き替えるために、一端あたしたちの会話は途切れる。
  あたしは2組で、悠は5組。靴箱の位置が、少し離れているのだ。
  靴を履き替えて顔を上げると、ほんの2、3歩離れた所に誰か立っていた。
  名札の色はブルー。3年の女の先輩。
  その人はおもむろに近寄ってきて、あたしの頬を打った。
  パンッと場違いな音が響いて、あたしは呆然としながら、無意識に打たれた頬に手を当てていた。
  相手はあたしを睨んでいたけれど、、すぐに走って行ってしまった。
  目に涙を浮かべていたように見えたのは、気のせいだろうか…。
  その後姿が見えなくなった頃、頬がヒリヒリしているのに気付く。
  「りん…?」
  靴を履き替えた悠が、すぐそばに来ていた。
  あたしは頬に当てていた手をさっと下ろして、笑顔を作る。
  「何?悠」
  ただ、うまく笑えているか、自分では判断できなかったけれど。
  「……ビンタでも食らったような、変な音がしたから…」
  一拍おいて、少しつらそうな顔をして言った。
  きっと、悠は気付いているんだと思う。
  「そう?」
  でも悠に言うようなことじゃない。
  だけど、悠の目を見続けることはできなくて…。
  なるべく不自然にならないように視線をそらした。
  「…ねぇ。昨日、3年生に呼ばれたの?」
  突然、あたしが話題を変えたので悠が一瞬黙る。
  「……うん。3年」
  「そっか」
  さっきの人、かな。
  あたしは部活に入っていないから、3年生の知り合いは少ないし。
  3年との接点なんてかなり少ないから、うらまれることなんてないと思うんだけど。
  うらまれるとすれば…。
  チラッと隣を歩く“彼”を見る。
  悠がらみってことだろうなぁ…。

  今日はあたしも悠も黙ったまま歩いた。
  駅について、いつもどおり自分の乗る電車のホームに向かう。
  あと数分で電車が来る。
  天井から吊るされている時計を見上げたあたしは、突然引き戻された。
  振り返ると、階段を下りようとしたあたしの腕を悠が掴んでいる。
  「どうしたの?」
  「……寄り道して帰ろう」
  一拍おいて、悠がにっこりと笑って言った。
  「え?…どこに?」
  腕を引かれながら、聞いてみた。
  驚いた。こんなことを言われたのは、初めてだから。
  「俺の家」
  さらっと答えて、悠の乗る電車のホームへとあたしを引っ張っていく。
  「ちょっ…ちょっと悠!」
  驚くあたしの声に、立ち止まることなく悠は振り向いた。
  「早く。もう電車来る」
  そうじゃなくて!!
  心の中でつっこんだ。
  悠にぐいぐい引っ張られ、結局電車に乗せられてしまった。
  いつの間にか、手をつながれている。

  比較的すいている車内で、あたしたちは並んで座った。
  あたしの右手は、悠の左手に握られたまま。
  「…で?何で悠の家に行かなきゃならないの」
  前を向いたまま、悠の顔を見ないで言った。
  「りん。言葉にトゲがある気がするんだけど…」
  「気のせいね」
  そっぽを向いて、思いきり冷たく言い放つ。
  悠が苦笑する気配がした。
  「今日は金曜だし、明日は休みだから少し遅くなっても平気でしょ」
  そういう返事をしてほしいわけじゃないんだけど…。
  「ちゃんと送っていくから大丈夫だよ」
  そういうことでもなくてね…。
  あたしはため息をついた。
  「質問の答えになってない」
  「あぁ。変なこともしないから、安心して」
  「そうじゃなくて!!」
  変なことってなによ!
  あたしが怒鳴っても、悠には全く効果なし。
  いつもの笑顔で、あたしを見ているだけ。
  「もう」
  もう一度ため息をついて、窓の外を眺めた。
  もちろん、あたしの右手は悠につながれたまま。
  でも、つないだ手は温かくて。わざわざ離そうとは思わなかった。