3.ただ、君と居たいと |
「りん」
いつものように教室の入口から声をかけると、彼女は俺を確認して立ち上がった。
津ノ田に一言なにかを言って、すぐに廊下に出てくる。
「待った?」と言う俺に、「全然」とりんが答えるのもいつもと一緒。
他愛ない話をしながら靴箱の所まで歩いて、いったん会話を中断する。俺たちはクラスが違うから、靴箱の
位置も少し離れている。
そういえば他の高校に行った友達は、学校に靴箱なんか無いって言ってたんだよな。
教室の前に自分用のロッカーが設置されてるから、そこに入れるって。
うちの学校だって自分用のロッカーはちゃんとあるんだから、靴箱なんかいらない気がするんだけど…。
そんなことを考えながら革靴に履き替えたとき、この空間には似合わない音が耳に届いた。
遠くの方から部活のざわめきは聞こえるけれど、ここら辺は割と静かだったからか。けっこうはっきりと聞き
取れた。
話し声はしない。ただ一発、パンッという音。まるでビンタでも食らったような…。
「……」
手に持った上靴をポイッと靴箱に投げ入れた。
急いで隣の靴箱の所に行くと、俺に背を向けて立つりんの姿があった。
右手に鞄を持って、左手は頬に添えられている。
りんの見ている方向を覗いてみたけれど、そこには誰もいなかった。
「りん…?」
声をかけると、さっと頬から手を離して振り向いた。
「何?悠」
何事もなかったような笑顔と声を俺に向けている。だけど、左の頬が少し赤くなっているのだけは隠せてい
ない。
嫌な予感が当たった。
まさか…とは思ったんだ。
「……ビンタでも食らったような、変な音がしたから…」
誰が?
何でりんに…?
そんなことを考える俺に、りんはなんでもないという態度を崩さない。
それでも、「そう?」と言ったりんはそっと俺から目をそらした。
何かあったんだと俺が気付いているのを、ちゃんとわかっているんだろう。
上靴を片付けて歩き出そうとしたとき、りんは様子を窺うように俺を見た。
「…ねぇ。昨日、3年生に呼ばれたの?」
その一言を聞いた瞬間、冷たい何かが体を走り抜けた気がした。
―――昨日、3年生に…。
原因は、俺か。
そのあと、駅までの道を黙って歩いた。
何も話題が見つからない。見つけられない。
『りんを巻き込んで、傷つけた』
そればかりが頭の中で繰り返されて、頭が働かない。
改札を通って、りんが天井に吊るされている時計を見上げたとき、ふとこのまま別れて帰りたくないと強く思
った。
さっきのことで、りんは俺をどう思っただろう。
不安だった。でも、このまま離れたくなかった。
「どうしたの?」
りんの驚いた声で、ハッとした。
ホームへの階段を下りる直前に、俺はりんの腕を掴んで引き止めていたらしい。
自分の行動に自分でも驚きながら、それでも動きの鈍った頭を必死に回転させた。
今日は妹が家に来るって言ってたんだっけ。
あいつ、りんに会いたいってうるさかったんだ。
本当は今日会わせるつもりじゃなかったんだけど…。
「寄り道して帰ろう」
驚きと、少し困った表情が混ざるりんに笑いかけた。
妹を利用する自分は、嫌なヤツかもしれない。
でも、今日はこのままサヨナラなんて嫌だった。
これは俺はわがまま。
分かってるけど…それでも、一緒に居たい。
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