1.君を見つけてしまったあの日                        

  屋上のドアよりもさらに上の狭い空間に上って、時間を潰していた俺の耳に、誰かが屋上に出てきた音が
  聞こえた。
  足音は二人。
  屋上なんかに来る理由なんて、あまり思い浮かばない。
  今は昼休みじゃないから、昼食ってわけでもない。放課後の屋上で喧嘩なんて、聞いたことないし。
  まぁ、考えるまでもなく、答えは最初から一つしかないんだ。
  俺と同じ理由で、ココまで来たんだろうな。
  今立ち上がって二人の前に出て行くよりは、気付かれずにやり過ごす方がいいだろう。
  俺は寝そべっていたから、二人は気付かずに本題に入った。

  少し話して。
  「ごめんなさい。あたし、好きな人がいるんです…」
  結局、その言葉で話は終わった。
  一人が帰っていく音がして、そっと上半身を起こす。
  「好きな人がいる」と、さっきの俺と同じ言葉を口にした女の子の声に、聞き覚えがあったから。
  見下ろす形で、その姿を確認する。
  先に帰ったのは男の方で、今俺に背を向けて立っているのは、同じ学年の女の子。
  後姿でも、誰か分かるなんてね。
  自分の判断に、内心苦笑する。
  やっぱり、自分にとって特別な人は、分かるものなのかな。

  少し迷って、結局声をかけることにした。
  会話を聞いていたことがばれるけど、それはこの際、目をつぶろう。
  壁面に固定されたはしごを降りて、遠くを眺めている背中に近寄った。
  何と言って声をかけるか、考えていなかったことに気付いて、彼女の少し手前で立ち止まった。
  彼女とは、だいぶ前に話をしたきりで。それも、何か委員の仕事内容だった気がする。
  困ったな、と苦笑したとき、彼女がさっきから溜め息をついていることに気付いた。
  「さっきから、溜め息ばっかりついてるね。幸せ逃げるよ」
  結局、そんな軽口で始めてしまった。
  他に何て言えばいいか思い浮かばないし。仕方ないと思って、あきらめよう。
  突然の問いかけに、予想通り彼女は驚いた表情で振り返った。
  話を全部聞いてしまったことを謝ると、彼女からは苦笑が返ってきた。
  「…大野くん、どこにいたの?」
  不思議そうに首をかしげる彼女に、さっきまで俺が寝そべっていた所を指差す。
  「あそこ」
  屋上のドアよりも上。
  彼女はそこを確認して、また遠くの景色に視線を戻した。

  「ところでさ」
  ポケットに手を突っ込んで、落下防止の鉄柵にもたれかかる。
  遠くを見つめる横顔が、とてもきれいで。みとれそうになった。
  「香月さん、好きな人なんていないでしょ」
  短い間を置いて、ゆっくりと俺を見る。
  ポーカーフェイスの彼女に、いたずらっぽく笑ってみせた。
  図星、だね。
  どうして?と聞く彼女に、カンだ、と答える。
  笑顔を崩さずに、少しの間彼女と視線を合わせ続けた。
  「断る口実に“好きな人がいる”なんて嘘つくのはなんで?」
  彼女の言葉を嘘だと断定した俺に、少し不服そうな顔をしたけれど。
  結局、あきらめたように呟いた。
  「……どこからバレるか、わからないから」
  何のことか、俺にはさっぱりだったけど。
  たいしたことじゃないと言う彼女の手は、鉄柵を強く掴んでいる。
  その表情が、妙に印象的だった。
  もし、彼女の笑顔を、かわいいと表現するなら。
  今のこの表情は、綺麗だと表現されるべきだと思う。
  「誰かを好きでいることにしたいんだ」
  それだけ言って、彼女の横顔を眺めた。
  言いたくないのなら、深くは聞かない。
  だけど。
  「その誰かって、決まってないんだろ?」
  この機会を逃がすほど、俺もバカじゃないから。
  「俺と、付き合ってることにしない?」


  実際に手をつないでいるわけではないけれど。
  それが、俺とりんが手をつないだ瞬間。

  俺は、この手を離すつもりなんて、カケラもない。