01. 契約                                      

  「ごめんなさい。あたし、好きな人がいるんです…」
  あたしの返事に、相手の男の子は明らかに落胆した表情になった。
  「……わかりました」
  と、小さな声で言うと、とぼとぼと帰って行った。
  「はぁ…」
  断った後は、いつも罪悪感がこみ上げてくる。あたしが悪いんじゃないけどさ。
  さっきの人、名前知らないし…。話したことあったっけ?
  また溜め息をついて、落下防止の鉄柵にもたれかかった。
  呼び出されるときは、たいてい屋上が指定場所。この学校、人目につかないところなんてココくらいだから。
  ぼんやりと遠くを眺めて時間を潰す。
  今日は晴天。雲はほとんどない。
  あたしの気分を天気で表すなら、きっと曇りね。
  それも、雨が降りそうで降らない、中途半端でタチの悪いやつ。
  「はぁ…」
  溜め息ばっかり。幸せ、どんどん逃げて行っちゃうなぁ…。
  「さっきから、溜め息ばっかりついてるね。幸せ逃げるよ」
  突然、背後から声が聞こえて、驚いて振り返る。
  「…ビックリした。いつからいたの?」
  「けっこう前からいた。香月さんが告られんのも聞いちゃった」
  ごめん、と苦笑する相手に、あたしも苦笑を返した。
  いきなり話しかけられたことよりも、考えてたのと同じことを言われて、驚いた。
  一瞬、心を読まれたのかと思った。
  「…大野くん、どこにいたの?」
  ふと気になって聞いてみた。だって、屋上に隠れる所なんてないのに。
  「あそこ」
  大野は笑って指差した。
  屋上のドアよりも上。貯水タンクの設置されている狭い空間。
  「あんな所にいたの?」
  あそこなら、気付かないのもうなずける。
  「ところでさ」
  両手をポケットに突っ込んで、大野も鉄柵にもたれかかった。
  「香月さん、好きな人なんていないでしょ」
  貯水タンクから目を離して、また遠くを眺めていたあたしは、その言葉を理解するのに数秒かかった。
  大野はあたしを見て笑っている。いたずらを思いついた子供のような表情で。
  「……どうして?」
  ポーカーフェイスを装って、問い返してみる。内心の驚きを隠して。
  本当に、心の中をのぞかれてるんじゃないかしら…。
  「カン。なんとなく、そう思っただけ」
  少し大野の顔を見つめていた。
  その間、大野もあたしから目を離さない。
  その沈黙を、笑いを含んだ声で破ったのは大野だった。
  「断る口実に“好きな人がいる”なんて嘘つくのはなんで?」
  あたしの言葉を嘘だと断定した。まだ、認めてなんかいないのに。
  また溜め息をついて、大野から目をそらした。
  「……どこからバレるか、分からないから」
  知られたくないから。あの人には。
  「たいした理由じゃ、ないんだよ」
  そう言いながらも、我知らず手すりを掴む手に力が入る。
  「誰かを好きでいることにしたいんだ」
  「まぁ、そういうこと」
  あたしの意味の分からない言葉を、大野が大まかに解釈した。
  あたしの言葉の意味を、大野は聞かない。
  あまり言いたくないから、何も聞かない大野に感謝した。
  「その誰かって、決まってないんだろ?」
  「うん」
  再び大野を見ると、まだいたずらを思いついた子供のような表情をしている。
  「何よ…」
  「俺と、付き合ってることにしない?」


  その取引に応じたのはあたし。
  なんで大野がそんなことを言ったのか知らない。
  大野にも理由があるのかもしれないけれど。
  あたしたちは、お互いに何も聞かない。
  ただ、偽りの恋人として。
  あたしたちの関係は、始まった。