特別な日
                                     

  「戒」
  放課後の誰もいなくなった教室に、聞き覚えのある声が響いた。
  「…どうした?」
  振り返ると、景が教室に入ってきたところだった。
  俺と景が義姉弟だってことを隠しているから、こんなふうに、学校で景が話しかけてくるは滅多に無い。
  だからこうやって会話をするのが、すごく不思議な感じだった。
  「…これ」
  俺のそばまで来た景が、紙袋を差し出した。
  「何?」
  「お父さんに、チョコ」
  あぁ。バレンタインだからな、今日は。
  「分かった。渡しとくから」
  紙袋を受け取って、自分の学校鞄を持った。
  景からだって知ったら、きっと親父は喜ぶだろうな。
  再婚して娘ができたのが、かなり嬉しかったみたいだし。
  「…景?」
  すぐに帰ると思った景が、俺を見上げたまま動かない。
  「人に見られたら、俺にチョコ渡してるんだ思われるぞ?」
  冗談交じりに、そう言った。
  俺の周りにも、景に気があるヤツがいるんだし。
  無駄な誤解が生まれる前に…。
  「…ねぇ」
  俺が持っている紙袋を指差して、景が口を開いた。
  「その中に、戒の分も入ってるんだけど」
  その言葉に、思考を中断して紙袋を見る。
  一瞬、耳を疑った。
  「景が?…俺に?」
  「…何、その顔」
  俺の反応に、景がいぶかしむような表情になった。
  「他の人からも、だいぶ貰ってるみたいだし。いらなかったら…」
  「いる。…ありがとう」
  景の手から紙袋を遠ざける。
  まさか景からもらえるとは思わなかったから、驚いた。
  今日何個かチョコを貰ったけど、景から貰ったことが、実は一番嬉しいかもしれない。
  「ありがとう」
  もう一度礼を言うと、景は小さく笑った。
  「大きい方がお父さんの分ね。お父さん、チョコ大好きだったでしょ?」
  袋の中をのぞくようにして、そう付け加えた。
  「ホワイトチョコは入ってないから」
  家族になって、まだそんなにたってはいないけど。景はちゃんと親父の好みを把握しているようだ。
  親父はチョコが好きだけど、ホワイトだけはダメらしい。何が違うのか、俺にはわからないけど。
  「小さい方が戒の」
  何気なく、紙袋を覗き込んだ。
  景が言うように、中には包装された箱が2つ入っているんだけど。
  親父のと、俺のと、包装がちょっと違っている。
  親父の方には店の名前みたいなロゴが入ってるけど、俺の方には見当たらない。
  「…なぁ」
  まさか、とは思う。
  「俺のって、景の…手作り?」
  わざわざ作った?親父のは買ったんだろ?
  「……」
  景はそっぽを向くように、コッチを見ようとしない。
  態度から、手作りなんだと確信した。
  「ありがとう…ホント、嬉しいから」
  緩んでしまう表情を何とか抑えながら、もう一度、礼を言った。
  「…戒はあんまり甘いもの食べないでしょ」
  親父だけじゃなく、俺の方にも気を使ってくれたらしい。
  「甘さは控え目にしておいたから…」
  甘いのが苦手ってわけじゃないけど、親父みたいに大好きってわけでもない。
  だから、景の心遣いが嬉しかった。
  バレンタインは、女の子にとって特別な日だって言うけれど。
  俺にとっても、特別な日になった気がする。


  これは余談だけれど。景がバレンタインに何かをあげたのは、俺と親父とヒバリの3人だけだったってことを
  知るのは、だいぶ後の話。
  ただ、手作りを貰ったのは俺だけだったなんてことを知るのは、もっともっと後の話。