別れ

  私があの子の笑顔を最後に見たは、いつだっただろうか…。


  電話が鳴って、母が受話器を取った。
  いつものように、誰からだろう、と思いながら廊下にいる母の声を聞き流して。
  「―――…亡くなったの?…いつ?」
  緊張をはらんだその一言に、私は教科書からドアへと視線を移した。
  “亡くなった”という一言で、真っ先に頭に浮かんだのは、入院している7歳下のいとこ。
  何故、その子を思い浮かべたのか、自分でも分からない。
  電話が鳴った時点で、死ぬほど衰弱しているとは微塵も考えていなかったのだから。
  誰かが事故に遭ったのかもしれない、とか。高齢の親類のことは、一切浮かばなかった。
  一瞬で思いついた名前を、その時は自分で否定した。
  否定、したかった。
  母の口から、その名が出たわけではない。
  それに。数ヶ月前ではあるれど、元気な声を聞いたのだ。電話越しでも、本当に元気に話していたのだ。
  でも…。最悪の直感は、当たってしまった。
  形ばかりの受験勉強を切り上げて、廊下に出た。受話器を置いた母の背中に、声をかける。
  「誰…」
  「おばあちゃんから。……ゆみこが、亡くなったって」



  朝早くの飛行機に乗って、母の実家に着いたのはお昼前。
  荷物を置いて、すぐに通夜に行く支度をした。
  亡くなったのは、母の姪。母の兄の子供だ。
  通夜は、母の兄の自宅で行われる。

  伯父の家に着くと、翌日に行われる告別式等の打ち合わせの最中だった。
  その奥の和室に視線を向けた私は、息を呑んだ。
  よく考えれば、当然のこと。
  でも、初めて通夜に訪れた私は、分かっていなかった。
  天井からは白と青の光沢のある布が下げられ、部屋の中央には仏壇が置かれていた。その両側に謹花
  が並び、部屋は綺麗に飾られている。
  そして、仏壇の正面に、いとこが眠っていた。
  青白い顔に、化粧を施されて。

  いとこの枕元には、伯父が座っていた。
  私たちが線香をあげる間も、業者との打ち合わせの間も。伯父は片手を娘の両頬に交互に添えていた。
  触れては離し、離しては触れるのを、繰り返し、繰り返し……。
  冷え切って二度と熱を持たない頬を、温めようとしているみたいに。
  無駄だと分かっていても、あきらめきれずにいる伯父を見て、私は泣きそうになった。


  伯父の家で、6時間ほどを過ごした。
  通夜に訪れる方々にお茶を出し、それ以外の時間はいとこの顔を見つめていた。
  通夜の雰囲気のせいなのか。何もせずにいることを、辛いとは思わなかった。普段であれば、6時間もの間
  ぼうっと座っているなんて不可能なのに。
  不思議な感覚の中で、時間はあっさりと過ぎ去った。

  時々、本当は昼寝をしているだけなのではないかという錯覚に陥った。
  これは悪い冗談で、起きなさいと言えば、目をこすりながら起き上がるのではないかと。
  どうしても、死んでいるようには見えなかった。
  私と同じことを考えるように、親類も同じことを口にした。
  「起きて」と、何度言いたくなっただろうか。
  その度に、じっと胸元を見つめても、全く動いていなくて。
  あぁ、やはり死んでしまったんだ、と…思い知らされた。
  そんなことを6時間の間、何度繰り返しただろう。
  分からない。
  そして、そんな虚しい行為を繰り返すたびに、涙で視界が歪んでしまいそうになった。

  母の実家に戻る間際に、もう一度線香をあげた。
  そのあと、枕元に座っている祖母に場所を譲ってもらい、私はいとこの顔を見つめた。
  そっと頬に触れてみたら、冷たいけれど、意外にやわらかかった。



  ゆみこの告別式は、予定通りに始められた。
  喪主である伯父を始めとして、男女交互に、近親者がゆみこの前に進み出る。
  特別に私も近親者席に座らせてもらい、自分の番になるまで、進み出る親類の横顔を見ていた。

  自分の番が来て、静かに遺影に歩み寄った。
  一度遺影を見つめ、一礼する。
  お焼香を済ませたあと、もう一度、ピースをして笑ういとこを見つめた。
  
  近親者がお焼香を終えると、次は一般の方々の番になる。
  ずっと唱えられているお経を、聞くともなしに聞いていた私の耳に、親類の声が届いた。
  私の右隣に座っている二人が、小さな声で交わした会話。
  「…あの人ね、見えるんですよ。そういうの」
  何が、見えるのか。始めは分からなかったけれど。
  「それで、ゆみこちゃんが笑顔で手を振ってるって…」
  続きを聞いて、なるほどと内心うなずいた。
  “そういうの”とは、死者の姿のことか。
  はっきり言って、私はそんなモノあまり信じていない。自分には見えないのだから。
  それでも、その時は。
  その時だけは、信じたかった。
  12歳にも満たない、まだ子供のうちに死んでしまった、私のいとこ。
  寂しがって、泣いているよりは…、笑っていると信じたかった。
  交わされ続ける二人の会話に、耳だけを傾けて、私はずっと遺影の方へ視線を向けていた。
  遺族席の端の方に座っていたため、謹花や供花の陰になって遺影は見えなかったけれど。ピースをしな
  がら笑っている、いとこの顔を思い浮かべた。
  あの遺影のように、今、笑顔で手を振っていると信じたかった。
  ふと、視界が歪み、そっとハンカチで目元を押さえた。



  葬式の次の日、私は母と飛行場に向かった。
  母の実家がある地方では、初七日というものがある。その七日間は、毎日、何かしらすることがあるのだけ
  れど…。
  私は受験勉強を優先させなければならなかったし、母にも仕事がある。
  祖父母や伯父たちに、初七日が終わるまでいられないことを詫び、帰ることになった。


  雲の上を進む、鉄の塊の中。
  ふと思い出したのは、久々に会った親類の言葉。

  「運命は変えられるが、宿命は変えられない」

  祖母の弟の言葉だったか。
  運命も宿命も、違いなんて私には分からない。同じ意味なのではないかとさえ思う。
  ただ、きっと。娘を亡くした親に対する、慰めの意味を持ってつむがれたのだろう。

  小さな楕円形の窓から、白い雲を見下ろして。
  それからそっと、目を閉じた。

  ―――ゆみこの“ゆ”は自由の“由”
  ―――ゆみこの“み”は未来の“未”
  ―――ゆみこの“こ”は子供の“子”

  養護学校で作ったというドレミの歌の替え歌が、頭の中で、流れて、消えた。


  ++END++