凍った心

  私は強い   一人でも大丈夫
  誰にも頼ったりしない
  私は強い
  私は強い
  でも 本当は
  誰よりも 弱い…



  「綺麗でしょ、このお花。家の庭に植えてあるんだよ」
  墓前にしゃがみこんで、話しかける。
  「あたしにだって、花くらい育てられるんだから」
  花を生けながら笑った。
  父も母も、きっと驚いているだろう。二人が生きていた頃のあたしは、花を育てたことなかったんだから。
  
  
  両親は、トラックに轢かれて死んだ。
  あたしが病院に駆けつけた時には、すでに息がなくて…。
  今でも、あの時のことはよく覚えている。傷だらけの、両親の顔も。
  でも、涙は出なかった。脳が麻痺したように、ジンジンして。
  葬式とか、いろいろと忙しかったからっていうのもあるかもしれない。
  だけど…。
  全部、終わって。
  一人ぼっちで。
  その時、初めて涙が出てきた。
  もう、優しかった両親はいないんだって。
  涙が、止まらなかった。


  両親の眠るお墓の前で、暗い迷路にはまりかけていた時。突然、後ろから声をかけられた。
  「ねぇ。さっきからずっとしゃがんでるけど、どうかした?」
  声の方へ顔を向けると、髪を明るい茶色に染めた同年代の男の子が立っていた。
  「ごめん、考え事?気分悪いのかと思って、声かけたんだけど…」
  あたしの顔を覗き込みながら、話しかけてくる。
  「まぁ、あんまり顔色はよくないけどね」
  何も言わないあたしに構わず、話し続ける。
  日に透けて余計に色素が薄く見える髪を掻き上げながら、笑う。
  掻き上げた髪の間から、左耳にピアスが見えた。
  
  何も言わずに見上げていると、彼は苦笑して、あたしの隣にしゃがみこんだ。
  そして、両親の墓を見る。
  その横顔が、けっこう綺麗で。みとれそうな自分を心の中で一喝して、自分も墓に視線を移した。
  少しの間、あたしも彼も何も言わずにしゃがみこんだ。
  初対面なのに、この沈黙が、なぜか窮屈に感じない。
  なんとなく、心地良かった。

  そうやって時間を過ごして。ふと、沈黙を破ったのは彼だった。
  「いつも…、来てるよね。ここに」
  ゆっくりと視線を彼の横顔に移す。
  あたしを見ずに、静かに言った。まるで独り言のように。
  その落ち着いた声が、妙な安心感を与えてくれる。
  「俺も、少しでも時間があったらここに来るから。よく見かけるんだ」
  あたしは黙って彼の横顔を見つめていた。
  誰の墓か、とか。あたしは誰か、とか。何も聞かない。
  本当、あたしにとっては初めて会う人なのに。
  何であたしは、こんなに安心しきっているんだろう。彼の声が、暖かくて心地いいと思うんだろう。
  「長い間、ここに座り込んでるよね」
  いつも、ここにしゃがんで。暗い迷路にはまってしまう。
  『ひとり』っていうことを、痛感する。
  「ずっと、見てたんだ」
  そう言って、彼はあたしに視線を向けた。
  彼の横顔を見つめていたあたしと、目が合う。
  「泣きそうな顔で、この墓を見つめてて…」
  優しい瞳が、あたしを見ている。
  「いつの間にか…、笑顔が見てみたいって、思うようになってた」
  手を伸ばして、あたしの頬に触れた。
  親指が、何かを拭うように動く。
  その時初めて、自分が泣いていることに気がついた。
  歪んでいく視界の中で、じっと彼を見つめた。
  温かい瞳を逃がさないように、じっと。
  
  
  
  背中から夕陽を浴びて、並んで歩いた。
  あたしたちも、あたしたちの影も、手をつないで歩いた。
  左右に分かれるまでの道を、何も言わずに、歩き続けた。
  
  「じゃあね」
  彼がそっと手を離しながら言った。
  離した手を見つめて、優しい笑顔の彼を見る。
  あたしは黙って、手を振った。
  結局、あたしはずっと何も話さないまま、彼と別れる。
  名前も知らない。どこに住んでいるのかも知らない。
  知っているのは、優しい笑顔と、温かい声。
  いつかまた、会えたら。
  その時は。
  「ありがとう」と。
  あたしの声で、あたしの笑顔で、言える自分でありたい。
  だから、それまでは。
  前を向いて、一歩ずつ進む努力をしよう。
  
  
  仰いだ空は、綺麗な夕焼けで染まっていた。
  
  
  
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