71. これは誰                                   

  夏休みに入って、2週間が過ぎた頃。久しぶりに、りんが俺の部屋に来ていた。
  今回は妹やその彼氏という邪魔者はいなくて、二人きり。
  りんをソファーに座らせて、俺はコーヒーを淹れる。
  もちろん、溶かすだけのインスタントじゃなくて。豆を挽くところから始めるんだ。
  俺はコーヒーが好きだから、インスタントなんかじゃ嫌なんだよね。

  二人分のコーヒーカップを持って、リビングに行く。
  りんの正面のローテーブルにカップを置いた。
  「ミルク入れるだろ?砂糖は…」
  どうする?と続けようとしたけれど、りんの表情を見て言葉を飲み込んだ。
  「りん…?」
  むすっとした顔で、俺を見上げている。
  どうしたんだ?さっきまでと全然違う。
  部屋に入ってきてすぐのときは、当然怒ってなんかなかった。
  俺はキッチンでコーヒーを淹れてたんだし。怒らせるようなことなんて、してないはずだけど…。
  「えーっと…コーヒーが嫌いってわけじゃないよな」
  一緒に出かけたときとか、飲んでるもんな。
  じゃあ、なんだ。
  コーヒーを淹れる短い間に、何かあったか?
  りんは怒った表情のまま、コーヒーを飲み始めた。
  ミルクも砂糖も入れずに、ブラックで。
  りんて、ブラックは苦手じゃなかったっけ。
  そう思いながら眺めていると、案の定苦かったのか、ますます表情が険しくなった。

  そのまま黙っていても埒が明かないので、りんの様子を伺いながら尋ねてみる。
  「あのさ…なんで怒ってるの?」
  せっかくりんに会っているのに、このまま時間を潰すのはご免だ。
  夏休みとはいえ、俺もりんも実家に帰ったりと、なかなか時間が合わなかった。
  りんは相変わらずムーッとした表情で、黙ったまま一枚の写真を俺の方へと突き出した。
  ポラロイドカメラで取られた、少し小さめの写真。
  この間、中学のときの友達と会ったときの写真だ。
  「……その女の人、誰?」
  写真を受け取って眺めていた俺に、りんが尋ねる。
  普段よりもだいぶ声が低い気がするのは、気のせいじゃないんだろうね。
  そこには、長い髪を茶髪に染めた人物が写っていた。
  きれいに化粧をして、笑っている。その隣りには、俺がいて。
  写真からりんに視線を移した。
  こらえようと思っても、どうしても顔が緩んでしまう。
  この写真と、りんの反応からすると。
  もしかして…。
  「何で笑ってるのよ」
  コーヒーカップを両手で包むように持ちながら、怒った声で言う。
  これはたぶん。
  「やきもち?」
  俺の言葉に、りんは「むぅ…」と黙り込んだ。
  その反応が嬉しくて、どうしても顔が緩むのを抑えられない。
  りんがやきもちを焼くなんて初めてだったから。
  「ねえ、りん。答えてよ」
  「…違うもん」
  上目遣いで俺を見て、小さく言った。

  「これね、女の子じゃないよ」
  反応がかわいくて、もう少し見ていたかったけれど。
  りんの隣りへとソファーを移動してから言った。
  「何それ。どう見たって女の子じゃない」
  ふん、と顔を背けるりんに、もう一度写真を渡す。
  「よく見て。これ…女装した早瀬だよ」
  一拍置いて、目をぱちくりさせながら俺の顔を見るりんに笑顔を返す。
  あのポラロイドカメラは、けっこう古いタイプだったし。
  写真のサイズも小さくて見にくいんだけど。
  それに上半身しか写ってないから、勘違いしても仕方ないかな。
  茶髪の長い髪は、もちろんカツラで。化粧は他の友達にやってもらっていた。
  「……そう言われると、早瀬くんぽいかも」
  ジーっと写真を見つめながら、りんが呟いた。
  「早瀬の名誉のために言っておくけど、その女装、罰ゲームだから」
  罰ゲームだったけど、実際、アイツはかなり楽しんでたけどさ。
  「早瀬くん、けっこうキレイだね」
  そう言って俺を見たりんの表情は、もう怒ってなんかいなかった。
  楽しそうに笑っている。
  「で、俺の潔白は証明された?」
  間違っても浮気なんかじゃないからね。
  それも、相手は女装した早瀬だなんて。
  「りん?」
  返事をしないりんの顔を覗き込むと、照れたような顔でうなずいた。