01. こんな始まり方

  「今まで楽しかったよ。ありがとう」
  俺が笑顔で言うと、目の前に立つ彼女…いや、元彼女の顔が引きつった。
  「ど、どうして?だって…昨日も2人で遊んだし、そんな素振りなかったのに」
  「うん。でも、もう終わり」
  少し間があって、バシッという音が響いた。
  元彼女が、俺の顔をひっぱたいた音。
  まぁ、これくらいは我慢しなきゃいけないか。泣かせちゃったし。
  逃げるように走っていく背中は、角を曲がってすぐに見えなくなった。

  「千堂くんの噂は本当だったのね。今回はどれくらい続いたの?」
  冷めた響きの声が、上から降ってきた。
  「あれ、見られちゃった?」
  「こんなところで修羅場るのはどうかと思うわよ」
  階段の踊り場から上の階へと視線を向けると、女の子が俺を見下ろしていた。
  「俺の噂?名前まで知られるくらい有名なんだ」
  階段を上りながら、彼女の言葉に笑って問い返す。
  「有名に決まってるでしょ。彼女がコロコロ変わる千堂くん。1ヶ月続いたら長い方なんだってね」
  相変わらず、冷めた声。
  「ハッキリ言うなぁ」
  茶化すように言うと、相手はさっさと歩き出した。もう言うことはないとばかりに。
  俺もその後について歩き出す。
  「そういう伊月さんは、こんな時間まで何してたわけ?」
  講義が終わってから、だいぶたつ。俺の情報では、彼女はサークルに入っていないはずだった。
  「図書館」
  そっけない。
  思わず苦笑がもれた。

  以前から、伊月 沙良(いつき さら)の噂は聞いていた。
  噂になる一番の理由は、顔。
  総合大とは違って、俺が通う単科大の場合は一学年の人数が少ない。それでも、それなりの人数はいる
  中で、噂になるほど顔のつくりが整っている。
  少し冷たい印象を与える美人。そんな印象になるのは、口数が少なくてあまり笑わないからって言う話も
  あるんだけれど。

  「図書館で勉強?」
  「……」
  少し待ってみても、返事はない。
  「返事しないってことは、勉強じゃないんだな」
  「…どうだっていいでしょ」
  くるりと振り返って、睨むように目を細めた。
  うん、やっぱり美人は怒ってても綺麗だね。
  「本読んでたとかさ、適当に答えとけばいいのに」
  「……」
  「実は誰かに告白されてた、とか」
  俺がニヤッと笑って、核心を突いた。
  目を細めたままの沙良の顔には、何の表情も浮かんでいない。
  少し体をかがめるようにして、俺は沙良と目の高さをあわせた。
  「図星だろ」
  何も言わずに睨む沙良との距離を縮めて、その髪に手を伸ばした。
  肩の下くらいまである髪を指ですく。

  「……なんてね。今日呼び出すんだって言ってたからさ、アイツ」
  沈黙なんてものを続ける気はないから、さっさとタネを明かした。
  ニッコリ笑うと、一瞬の間を置いて、思い切り手が飛んできた。もちろん、頬に向かって。
  その手を軽々と捕まえると、今度は反対の手が飛んでくる。
  反対の手も捕まえて、そのまま沙良を壁に押さえつけた。
  「離して!」
  まぁね。誰だって壁に押さえつけられたら、文句の一つくらい言うだろうけど。
  沙良の場合は、一つくらいじゃすまないんだろうな。
  「ごめん。そんなに怒るなって」
  口では謝るが、顔から笑みを消すことは出来そうにない。
  「この体勢で言うセリフじゃないでしょ!」
  自分より頭一つ分背の高い俺を睨みつけて、声を荒げた。
  「そんなにデカイ声出すと、誰か来ちゃうかもよ」
  からかうように笑って、こんな場面みられてもいいの?と付け足した。
  「…最低」
  「傷つくなぁ」
  口先だけで傷ついたフリをして、すぐに笑う。
  「離してってば」
  「アイツとけっこう仲良いからさ、俺。で?なんて返事したの?」
  沙良の抗議を笑顔で受け流して、話を戻した。
  「……関係ないでしょ、千堂くんには!」
  「大有りだって」
  沙良は不審そうに眉間にしわを寄せた。
  「アイツは、俺の好きな子に告白したんだから」
  黙ったまま俺を見上げる沙良から目をそらさずに、一息で言い切った。

  「ねぇ、なんて返事した?」
  何も言わない沙良にもう一度問いかける。
  細められていた目が、今度は驚いたように俺を見上げてくる。
  その目を見て、今、自分が笑っていないことに気がついた。
  小さく息を吐き出して、意識して笑顔を作り直す。
  「ねぇ?」
  「……言うから、離して」
  自分でも嫌がられることをしてるっていう自覚はあったから、素直に手を離した。
  「…断った」
  一言、短く言い捨てて、沙良はさっさと歩き出した。
  その背中を眺めていると、角を曲がる直前に、ふと立ち止まって俺の方を見た。
  「さっきのセリフ、今まで何回使ったの?」
  「……は?」
  俺の答えなど最初から聞く気はなかったのか、返事を待たずに角を曲がって姿を消した。



  ―――俺の好きな子に告白したんだから



  ははは、と苦笑して俺も歩き出す。
  「俺って信用ないな」
  まぁ、自業自得なんだけど。
  「さーてと…」

  どうやったら、信じてもらえるだろうか。